赤塚高仁ブログ

そもそもそれって、誰のもの?

2013.05.28

 旧約聖書レビ記に、土地は神のもので、人はそれを使うことを許されていると書かれています。

しかも、それは安息の年を7回数えた翌年まで。

すなわち、7年を7回の翌年。

だから、50年経ったらそこから出なければならないのです。

その年を「ヨベルの年」と呼んで、特別な年となります。

ワシが、定期借地権事業を始めた時、

「ああ、この50年って・・ 神様が定めた期間なのかもしれない。

  そもそも土地って、人間がこの世に出現する前からあったものなのだから」と思ったものでした。

 

 海の中にいる魚は、誰のもの?

取った人の物になるから、漁師さんたちも我先にと取りまくります。

挙句の果てに、魚は取り尽され、大切な財産が枯渇してゆきます。

聖書の創世記の中に、すべての動植物を人間はとって食べてもいいと書かれていますが、

そこに感謝がなくなるとき、神様から離れてゆくのかもしれません。

「いただきます」とは、命をいただくことに感謝して合掌する日本民族の尊い心の表れ。

英語にもフランス語にもドイツ語にも、もちろん中国語にもありません。

 

 固有財産

 

 私有財産

 

 そして、共有財産へと変わるときが来ているのかも知れません。

それは俺が作ったものだという、固有財産。

俺がオレがと主張する、俺様のものだという私有財産。

そんな価値観が、音を立てながら崩れているように思えます。

 

 心の広いリーダーは、「神様が宿る家」は共有財産だと仰っておられます。

さすがとしか言いようがありません。

世の中には、「俺が開発したものを使わせてやっている」「教えてやっている」「買ってやっている」という考えで、他者をコントロールする権力者が多くいますから。

金と物で人の心を縛る世界は、まさに修羅場です。

 

湯鬱だと仰るリーダーですが、ワシは、住環境の伊豆山さんにこの会に入れていただき、

大きな救いをいただいた恩人ですから、彼が辞めて魂の底から憂鬱なのです。

   本当に、憂鬱です。

 

 

   

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