赤塚高仁ブログ

がんばるママ、 ブログ発信

2013.05.31

今日、6月1日はわが社、赤塚建設の元旦であります。

新しい期の始まり、創業から54年の月日が流れたわけであります。

今期も「神様が宿る家」を、我が町に広めてゆける幸いをしみじみかみしめます。

ありがたいことです。

創業してくださった父に感謝です。

 

ところで、我が社の営業の要、本島康子さんが面接に来られたのは、いまから18年も前のことでした。

彼女が名古屋の大学に通っていたとき、ワシの友人のとんかつ屋さんで3年間アルバイトをしていたことがご縁でした。

気晴亭の加藤社長から「津で、建築会社に勤めたいインテリアコーディネイター志望の女子がいるけど、会ってあげて」と電話をもらいました。

リクルートスーツがさまにならない、あわてて黒髪に染めたちいさな女の子でした。

いろんな話を聞いた後、現場を見に行ったのでしょうか、なぜか一身田でトンカツを食べた思い出が残っています。

とにかく、仕事ができるできないより、3年間トンカツ屋さんをアルバイトで辞めなかったのが気に入って、入社してもらいました。

 

 康子さんは予想を上回る ガンバリ屋さんでした。

最初の一年は、事務仕事、もくもくと働く康子さんでした。

その年に、営業の男子が急に辞めてしまい、康子さんに営業してもらうことになったのですが、知識不足を補うために彼女は勉強し、

宅地建物取引主任者、二級建築士の資格もとりました。

誰もやったことのない「定期借地権」を事業化するにあたって、康子さんとワシは、地主さんまわり。

彼女の名刺には「定借アドバイザー」と肩書きを印刷しました。

「社長、これってどんな仕事ですか?」 ・・・「そんなんワシかてわからんわ、動きながら考えよ」 そんな時代もあったのです。

世界標準の街を造りたい、美しい家を作りたい、そんな思いで二人走り回りました。

各地の定借物件、見て回りました。

福島は三春、東京・・・大阪はほぼ毎月勉強に行きました。

ロサンゼルス、シアトル、バンクーバー・・・本物の街並みを見ようって、海外にも行きました。

康子さんは、成長して日本で類のない、定期借地権地主営業の最高のアドバイザーとして活躍してくれました。

 

 そして今、さまざまな道を歩いてきましたが、ワシらはとうとう究極の健康住宅にたどりついたのです。

ウソをついたり、誤魔化したりせず、本心から住まう家族の笑顔と健康のためにおすすめできる住宅と巡り合えました。

本島康子ママ。

いつしか彼女も二児の母親となり、子育てと仕事で目いっぱいの日々の中で、相変わらずのがんばりを見せてくれています。

 

彼女に生まれた二人目の男の子が、アトピーです。

夜も眠れずに世話をして、上の子を学校に送り出して、会社に間に合うように走ってきてくれます。

いつもの笑顔がでない日もあります。

いま、すべてが曲がり角ですね。

「いっぱいいっぱい」という言葉があるようですが、康子隊員もなんとなくそんな感じかもしれません。

  そんなときだからこそ、深呼吸をして、笑ってみよう。

 

さあ、がんばるママ、

ブログ発信だ!  あなたの言葉で、救われる人がいるから。

 

      赤塚建設  新しい一年が始まりました。

 

 

 

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