ええ、あなにやし!
パートナーって本当に大事ですね。
日本の国生みの物語も、パートナーのつながりによって成り立つものだと古事記は記しています。
男女の二神、イザナギとイザナミ
二人の出会いによって、我が国は生まれるのですが、初めに女性神イザナミが男性神イザナギに声をかけます。
「あなにやし、おとこを」 (なんとすばらしい男性でしょうか)
すると、イザナギがこたえて「ええ、あなにやし、おとめを」(なんといい女であることよ)
そして交わるのですが、生まれてくる子供はヒルコ・・・骨の無い子供
そこで二人は、天の神様に相談に行くと
「女が先に声をかけたのがよくない、男が女性を輝かせなければ善きものは生まれない」
改めて、
イザナギが 「あなにやし!おとめを」
イザナミがこたえて「あなにやし、おとこを」 すると、次々美しい島が生まれ、日本誕生となったという神話です。
この物語の中に、ワシらの祖先が発見した大いなる真理があるのではないかと思っています。
まず、男女という異質の組み合わせによって、新しいものが生まれるということ。
つぎに、男と女とは違うのだけれど、それ以上に「男性性」「女性性」ということに意識しなければならないということに気付かされています。
例えば、
男性性 女性性
効率・結果を重視 → プロセスを重視
善悪・論理を重視 → 気持ちや想いを重視
目標・未来を重視 → 今、喜びを重視
地位・権力を重視 → 好き嫌いを重視
と、いった感じでしょうか。
男性性を重視し、そのエネルギーで社会が回る時代もあったことでしょう。
しかし、ワシらの国は今、間違いなく男性性の時代を超え、女性性の時代に入ったのだと感じます。
イザナギがイザナミを輝かせたように、男が女にエネルギーを注ぎ、愛を注ぐことによって善きものが生まれるのではないでしょうか。
女性であっても、女性性の立ち上がっていない男のエネルギーの人も多いようです。
男らしさを誇る人は、内側で泣いている女性性を踏みにじり、エネルギーをジャジャ漏れにしているのかも知れません。
神様が宿る家は、女性が豊かに光り輝くエネルギーに満ちた空間にならなければなりませんね。
といってもフィリピンのオカ○になったらあかんよ、ようやく人間に近づいたおさるさん。
あんた、やっぱり間違ごてるやろ。
「アドベンチャー」ってそれ、冒険そのものやん。
ワシは電話で、「アトラクション」ってゆうたのよ。
もお、 せっかくええ話したのに・・・でも、そんなところがあなたの魅力ね、ええ!あなにやし!! おさるを!