心と身体
歩き始めたばかりの坊やは
歩くことで しあわせ
歌を覚えたての子どもは
うたうことで しあわせ
ミシンを習いたての娘は
ミシンをまわすだけでしあわせ
そんな身近なしあわせを
忘れがちなおとなたち
でも こころの傷をなおしてくれるのは
これら 小さな
小さな しあわせ
高田敏子さんの「しあわせ」という詩です。
ずいぶんと前のこと、ワシはうつ病になってしまい、死に損なって病院に入れられてしまいました。
そんなとき、知らないうちに髭が伸びていることと、爪も伸びていることに氣がつきます。
「ワシがいま、死のうとしている時、ワシの身体は生きよう、生きようとしている」
「ワシの身体は、喜びたい、楽しみたいとしている時に、ワシの心は死のう、死のうと押さえつけている」
そんな氣づきから、新しい自分を発見し、人間関係が広がり、運命が変えられてゆきました。
器は大きくなったのかどうかはわかりませんが、世界が大きく変わったのは事実ですね。
なんだか、知らぬ間に心の調子が悪くなっていたようです。
小さくセコく固い、頭ばかりの能書き爺いと呼ばれても仕方のない有様でしたね。
前向きに晴れやかにイキイキと喜び喜んで笑って生きなければ勿体ないです。
人に会うのがしんどいとか、人と交わるのが苦手だとか、
いつまでも「自我」の世界の住人で、「自我」を守ろうなんてセコく小さく固く生きていては、そりゃ疲れます。
人と交わり、人間関係を広げてゆく時、心の扉が開いてゆくのでしょうね。
ワシらは、神様の分け御霊として生まれ来て、自由意志を与えられた神様の最高傑作です。
神の栄光を現して、古い自分を脱ぎ捨てて、神様に似せられるような歩みがしたいと願わされてなりません。