敗戦の日の夜
68回目の敗戦の記念日の夜は、それはそれは驚くべき夜となりました。
60年目の敗戦の記念日は、鍵山さんと靖国神社に行きました。
何年か続けて靖国に参りました。
三重県の護国神社で何年か続けて講演させていただくこともありました。
阿波踊りに参加させていただいた時期もありました。
ここ4年は、親友 シマムラ夫妻と諏訪湖の花火大会で、おそらく世界一の花火をみています。
シマムラ夫妻は、花火鑑定士の資格を持つ日本でも有数の花火鑑賞名人。
毎年 諏訪湖と秋田の大曲に連れて行ってくれます。
花火の大嫌いな澤田先生から見たら、馬鹿げた連中にみえることでしょうね。
50万人もの人が集まり、駐車料金は5000円、何時間も前からじっとその時を待って座ってる。
でも、それだけ人が集まるっていうことは、それだけすごいってことでしょう。
65年も続いているのですから。
5基同時に発射されるスターマイン、3尺玉の連打・・・驚異のオープニングです!
ところが今年はそこに天からのオマケの稲妻が!!
そして、ゲリラ豪雨 ・・雨天決行のはずの大会が、中止となってしまいました。
逃げ場のない50万人、濡れネズミ
土砂降りの中、歩きながら、戦争中ジャングルで雨にうたれていた兵隊さんのこと思わされました。
死んだ父が、花火の音を聞くたび「焼夷弾や」と言ってたのを思い出します。
わずか68年前、雨の代わりに爆弾が降ってきたのです、我が国に。
一切の戦争責任は、自分にあるから、我が国には戦犯はいない。
自分の命はどうなってもかまわないから、国民を救って欲しいと真っ正面から敵の将軍に、たった一人で、逃げずに向かってくださった天皇陛下のおかげです。
澤田先生は、「天皇は戦争責任とって腹を切ったらよかったんだ、自分なら腹を切る。
310万人も殺しておいて見苦しい、」と言われます。
先生の言われることとはいえ、やっぱりワシにはそうは思えないのです。
本当のことは、わかりません。
でも、自分のことで悩んだり、会社の利益を追いかけたり、家族で笑えたりできるのも戦争がないからでしょう。
天皇陛下が、国民を見捨てて命乞いをしていたら、今の日本はあり得ないと思えます。
人、友のために命を捨てる。それより尊い愛はない。
キリスト・イエスの想いも深く染み入る信州の夜です。