赤塚高仁ブログ

性格と人格

2013.08.19

  ある方のブログが、胸に刺さって、刺のように残ってしまいました。

ずっとささったまま、夜中に目が覚めてしまうほどです。

このワシのブログも、夜中に眠れないまま書いています。

誰にあてて書かれたのかわからないけれど、あのブログはワシの心に向けて発信してくださった貴重な意見と受けとめました。

面と向かってお礼を言うのは容易ではないかもしれないので、ここで正直に感謝します。

くやしいけど、あかん

ワシの心の奥の方に潜む闇が、見つかったという感じで、

あのブログを読んだ時から感じていた違和感の正体は、「それ、あんたのことやで」って、

よくみてごらん、もう逃げてもあかんよ。

あんたは、偉そうに「いろんな人を知ってる」「 情報を持ってる」「そんなことできる」と思ってるけど

実際は、自立も自律もできず、「自分の立場や面子や利益を保つことばかり考えている」、口先男だと言われたような気がしました。 

出会ったころ、澤田さんに「能書きおやぢ」と言われましたが、そんときは何とか明るく過ぎ越すことができたのですが、

今回はちょっと深く内観しています。

 

 知らず知らずのうちに、横柄で傲慢な人間になってしまっていたようです。

中でも、とりわけダメージをうけたのは

   「自分自身が何もしてこなかった事は棚に上げ、他の人がコツコツと努力をして来た事をひがみ、絶対差がついているにもかかわらず素直に認められない。

受けた恩は当たり前で、受けた仇はいつまでも執念深く忘れない。」 

という部分でしょうか。

本当にその通りです。

つまらない見栄やメンツ、くだらないプライドで 「羨んだり嫉妬したり攻撃したりして 」 結局自分が傷ついてゆきます。

 

 大勢の人の前で話して、賞賛を得ようとしているワシの心は、傷ついたエゴが必死でその傷を癒してもらおうとしていたのかも知れません。

伊勢の神話を体感する会をワシが主催することも 「賞賛」 を欲していたからかも知れません。

神様のことや、天皇のこと、神話のこと、

しかし、この渇きは他人からの賞賛では満たされることはないのでしょう。

渇いて飲んでいるのが、海の水だからです。 飲めば飲むほど渇いてゆきます。

本人の心の中のむなしさは、外からは決して見えないものですから。

いくら羨望される状態でも、本人は絶望していることもあるようです。

心の豊かさや、心安らかな人生を過ごしていくためには、いつも周囲の人を気遣い、人の歓びを 我が歓びと感じられるかどうかだと思います。

人の役に立とう、喜んで頂こうと考えている人には きっと悩みは少ないのだと思いますし、その状況の時には心は満たされているのだとも思います。」 

・・・まさに、その通りです。

 

 苦しみのほとんどが、「自分について」考えることでしょうか。

サトリタイ、悟りたい、悟って不安のない心になりたいと探し求めていたワシですが、

それって全部、自分のことでした・・・だから、それを「エゴ」と呼ぶということも改めて発見させていただけました。

本当に悟った人とは、「自分のことを言わなくなる」のですね。

 

 人間、「人格」は後天性です。

そして、「性格」は、先天性。

性格は変えられなくていい、でも、人格は向上したいと願わされています。

 

いまになってようやく「澤田塾」での教えに気付き始めたようです。

精神世界の話なんて10年も知らなくても生きられるけど、米がなかったら三日と持たないから。

澤田さんの考え方は、お米だと、今 ワシは思います。

 

 心に刺がささったままですが、そのことについて考えるのはやめて

あのブログの作者のように、人のことを考えるよう意識して歩こうと思います。

 

 

人の悩みと 心の平安

人間は悩みが尽きないものだと思います。

ただ悩みが尽きない ほとんどの理由が、自分のことばかりを考えているからです。

自分の立場や面子や利益を保つことばかり考えていると、悩みはどんどん膨らんでいきます。

普段から言行が一致せず 聖人を演じ、他人からも勘違いされている人は 尚の事でしょう。

対人関係でも勝手に序列を作り 人を優劣で判断し、媚びたり蔑んだり。

人それぞれに得意な事や優れたところがあるにもかかわらず、それを羨んだり嫉妬したり攻撃したりして、その相手はもちろんですが 自分自身も傷つきます。

そして、つまらない事で意地を張ったり 自分のプライドを保とうとしますが、それは自分自身の誇りでも何でもなく、つまらない見栄だったり 何の役にも立たない面子を保つ為だったりします。

自分自身が何もしてこなかった事は棚に上げ、他の人がコツコツと努力をして来た事をひがみ、絶対差がついているにもかかわらず素直に認められない。

受けた恩は当たり前で、受けた仇はいつまでも執念深く忘れない。

このような状況で心の平安など訪れるはずは無く、ここから抜け出さない限り不安や怒り焦燥感からは離れる事はできません。

心の豊かさや、心安らかな人生を過ごしていくためには、いつも周囲の人を気遣い、人の歓びを 我が歓びと感じられるかどうかだと思います。

人の役に立とう、喜んで頂こうと考えている人には きっと悩みは少ないのだと思いますし、その状況の時には心は満たされているのだとも思います。

 

                   

       忘れずにいようと思います。

ワシは、忘れてはいけないことを忘れ、 忘れなきゃいけないことをいつまでも根に持ったりします。

忘れてはいけないことを、忘れずにいます。

眠れない夜、

            もう夜明けがきます。  

 

 

 

 

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