体内の入浴
救世神教の新聞にこんなすてきなメッセージがありました
本当のことがわかっておられる偉大な魂は、いつの時代にも少しだけ孤独なのかも知れませんが、真実を叫ぶ勇気にこちらの魂も震えます。
(前略)風邪くらい結構なものはないので、体内の何処かしらに溜まっている毒の掃除であるからで、即ち熱のために溶けた痰や水洟、
汗などが出るだけ出れば治ってしまい、後はさっぱりして健康は増すのである。
つまりタダで体内の掃除ができるのだから、こんな有難い話はないではないか。
これを例えてみれば、入浴は外部の清潔法、風邪は内部の清潔法と思えばよい。
つまり、皮膚に溜まった垢を落とすのと同様、体内に溜まった垢を落とすのである。
だから、痰や鼻汁、汗も垢である。
もちろん皮膚は人間の手で洗えるからいいが、腹の中はそうはゆかない。
しかし、自然はありがたいもので、風邪と言う方法で洗い落とされるのだから、何と造物主という神様が巧く作られたものではないか。
だとしたら、実に風邪さまさまである。
だからできるだけ風邪をひくようにすればいいので、これがまず一番の健康法である。
かえって手当などせず放っておくに限るので、それでも順調に治るから、こんど風邪をひいたら試してみればよくわかる。
しかも体内が清まる以上、その後はだんだん風邪をひかなくなる。
ところが、こんな簡単な理屈が今日まで分からなかったということは実に不思議で、
人間くらい愚かなものはないと思っている。
そればかりではない、特に問題なのが薬であり、体内の清潔を逆解して症状を止めようとするのが医学であり、そのため用いるのが薬というなの毒物である。
・・・・・・・ だから今日薬と言って有難がっているものは、悉く毒であって、毒で体内の垢の掃除を邪魔するのだから、これほど間違った話はあるまい。
・・・(中略) こうみてくると、病気の元は全く毒物であるから、人間は薬をやめ、できるだけ風邪をひくようにすれば年中無病息災となり、
長生きすること請け合いである。
体内に溜まった毒をきれいに出して、本当にあるべき自分と出会い、なすべきことを生かされたいものです。
いらないものが おおすぎる!!
そして、常識だと思い込まされていること、一度疑ってみなければ、どこかよくないところに連れてゆかれてしまいますぞ。