誰が話したかでなく、何が話されたか
人の好き嫌いが激しい、子供の元型に瞬時に乗っ取られてしまうワシは、
「誰が言ったか」ということに意識が向いてしまうようです。
無自覚、無意識にそうしてしまうので、「事実」と「物語」が混同されてしまいます。
ほんのささいな、笑ってすませるような話なのに、妻や娘が話すと過剰反応し、怒り、許せなかったりします。
いったい脳の中で、どんな反応が起きているのでしょう。
脳に縛られ、支配される人生から早く解放され、脳を支配し、思いのままに活用できる人生に入れられたいものです。
そうそう、何が言いたかったというと、
常に意識的に生きるということは、「誰が言ったか」ということよりも「何が話されたか」のほうがずっと大事だということですね。
会議なんかでも、大勢の話よりもリーダーの鶴の一声ですべてが決まってしまったりすることってよくあります。
特に、日本の社会ではありがちな話です。
でも、そういう組織は、誰も見たことのない新しい世界にJUMPすることはできないと思えます。
リーダーが好き嫌いの強い人だったりすると、特にその傾向が顕著になったりします。
意識的に生きるって、とても難しいことですが、きっとそれも習慣なのでしょう。
好き嫌いという子供の視座から離れて、何が話されているのかという視座にシフトしたいなぁと思わされる夜明け前です。
朝の5時からこのブログを書いていますが、空には星が綺麗です。
10月の半ばにさしかかろうとしているのに、津は30度を超えたりしています。
これまでの常識が、非常識になるかもしれない大きなアセンションのとき、古い自分に死ぬ勇気が何よりも大切なのかも知れません。
【近江商人の教え】
一、商売は世の為、人の為の奉仕にして、利益はその当然の報酬なり
一、店の大小よりも場所の良否、場所の良否よりも品の如何
一、売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永遠の客をつくる
一、資金の少なきを憂うるなかれ。信用の足らざるを憂うべし
一、無理に売るな、客の好むものも売るな、客の為になるものを売れ
一、良き品を売ることは善なり、良き品を広告して多く売ることは
さらに善なり
一、紙一枚でも景品はお客を喜ばせるものだ。
つけてあげられるもののない時は、笑顔を景品にせよ
一、正札を守れ。値引きはかえって気持ちを悪くするくらいが落ちだ
一、常に考えよ、今日の損益を。
今日の損益を明らかにしないでは寝につかぬ習慣にせよ
一、商売に好況、不況はない。いずれにしても儲けねばならぬ
変えてはならないこともあります。 見分ける智慧が肝心ですね。