戦い好きなひと
この世の成功を追求するとき、ときに人を愛することができなくなるようです。
なぜなら、成功のために他者を道具として利用するからです。
他人を自分の道具として使うことは、人としてもっともしてはいけないことの一つのようです。
それは、どんな人にもその人の目的があり、他人を自分の道具にするとは、その人の命を損なうことだからです。
でも、この世の成功を追求するとき、その人は他人を使わざるを得ないでしょう。
そして、その人はずるがしこくなります。
そこには熾烈な戦いがあるからです。
狡猾に振る舞わなかったら、だまされるかも知れないからからです。
人からだまされる前に、人をだまさなければならないのです。
攻撃は最大の防御だということを聞いたことがあります。
決して相手が攻撃をしてくるのを待っていてはいけない。
それでは、後れをとるでしょう。
相手が攻撃をしてくる前に相手を攻撃しなくてはならない。
それが、最善の防衛法だと、いつのまにか教えられ、その人も従っている法則のようです。
誰かが自分から何かを奪い取る前に、彼らからうばい取らなければならない。
いつも警戒しています。
いつも警戒していれば、緊張し、不安にかられ、人間不信になり、心配するのは当然のことでしょう。
みんながその人の敵であり、その人もみんなに敵対しているのですから、
この世の成功は、人生のゴールでもなければ、ゴールになることもありえないでしょうね。
戦い続ける人の心は、ワシには分からないですが、
どうぞ、平安あれと願わずにいられないのです。
戦い続ける人の心を、誰もがわかっているなら、
戦い続ける人の心は、あんなにも燃えないでしょうし
弱い山羊のたわごとだとしても、誰もがみな幸せになる義務があるのです。
幸せになるのは、権利でなく、義務のようです。
誰とも比べない
決して負けない、強い心をひとりにひとつづつ
神様は、ワシらに持たせてこの世に送り出してくださったのですから。