赤塚高仁ブログ

 思考パターン・感情パターン

2013.11.06

 毎日、ワシらは緊張と弛緩の間をいったりきたりしてますね。

 

人に善く思われたい、こうあるべき・・・いつのまにか刷り込まれ、

知らぬ間につくりあげてきた「私」という錯覚。

愛されたい、好かれたい、理解されたい・・・されたいという期待。

ここから生まれてくる「思考」が、緊張を生み出すようです。

そんなとき、不安が立ちあがり、精神的にも肉体的にも委縮して、ふつうにできることさえできなくなってしまいます。

仕事や人間関係、趣味もなにもかもうまくいかなくなってしまう。

こういう状態を「鬱」と呼んだりして、その状態に落ち込んでしまうのです。

あらゆる場面で、プレッシャーに弱い人はこの「思考パターン・感情パターン」をしているようです。

 

 なんで、そんなことわかるかって言うと、まったくワシがその典型で、

「鬱病」のベテランで、15年間も抗鬱剤、精神安定剤、睡眠薬のお世話になっておりましたから。

血液型、占星学、運勢、過去世・・・何かのせいで、自分はこうなった、

と、常に受け身の感情パターンであったわけですな。

ですから、全部何かのせいというわけで、実に複雑な継ぎはぎの人生であったわけです。

 

 でも、「人生は、信じたもので創られる」

 

すべての物事には、明確な仕組みがあるようです。

仕事や人間関係がうまくいかないことを、星や過去世のせいにするのも自由やけど、

「思考パターン・感情パターン」  

ただ、それを変えるだけやったらどうでしょう。

 

 抗鬱剤・精神安定剤・睡眠薬の3点セットを一粒も飲まなくなってから、11年が過ぎました。

キリストとの霊的接触が、そのときのワシを変えてくれました。

 

でも、いまもう一歩先に進む時がきているようです。

外側に神様を求めるのは、星や血液型となんにも変わらないことにやっと気付いたからです。

 

多くの人の「鬱病」は治りません。

なぜなら、ほとんどの場合「鬱病」ではないからです。

そういうと、「鬱病」だと信じている人は怒ります。

安心してください、本物のうつ病ならば、怒ることさえできませんから。

怒るということが、うつ病ではない証明です。

 

 「鬱は、希望の不在」なのです。

鬱 があるのではなく、 希望の光がないのです。

闇 があるのではなく、 光が不在のことを 闇 と名付けただけなのです。

闇というものは、存在しないのです。

光がある時、闇は消え去るのです。

闇が光に勝つことはありません。

光が希望で、闇が鬱です。

闇を消そうとして戦うのは終わりにしましょう。

 

   光を灯すのです。

 

不安と連動する緊張感は、希望によって高められる緊張感に変わるのです。

自分に優しくしましょう。

内なる感情に心の耳を傾けましょう。

「いま私はどうしたいのだろう」 そんな自分への問いかけに素直になっていいときかも知れません。

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