思考パターン・感情パターン
毎日、ワシらは緊張と弛緩の間をいったりきたりしてますね。
人に善く思われたい、こうあるべき・・・いつのまにか刷り込まれ、
知らぬ間につくりあげてきた「私」という錯覚。
愛されたい、好かれたい、理解されたい・・・されたいという期待。
ここから生まれてくる「思考」が、緊張を生み出すようです。
そんなとき、不安が立ちあがり、精神的にも肉体的にも委縮して、ふつうにできることさえできなくなってしまいます。
仕事や人間関係、趣味もなにもかもうまくいかなくなってしまう。
こういう状態を「鬱」と呼んだりして、その状態に落ち込んでしまうのです。
あらゆる場面で、プレッシャーに弱い人はこの「思考パターン・感情パターン」をしているようです。
なんで、そんなことわかるかって言うと、まったくワシがその典型で、
「鬱病」のベテランで、15年間も抗鬱剤、精神安定剤、睡眠薬のお世話になっておりましたから。
血液型、占星学、運勢、過去世・・・何かのせいで、自分はこうなった、
と、常に受け身の感情パターンであったわけですな。
ですから、全部何かのせいというわけで、実に複雑な継ぎはぎの人生であったわけです。
でも、「人生は、信じたもので創られる」
すべての物事には、明確な仕組みがあるようです。
仕事や人間関係がうまくいかないことを、星や過去世のせいにするのも自由やけど、
「思考パターン・感情パターン」
ただ、それを変えるだけやったらどうでしょう。
抗鬱剤・精神安定剤・睡眠薬の3点セットを一粒も飲まなくなってから、11年が過ぎました。
キリストとの霊的接触が、そのときのワシを変えてくれました。
でも、いまもう一歩先に進む時がきているようです。
外側に神様を求めるのは、星や血液型となんにも変わらないことにやっと気付いたからです。
多くの人の「鬱病」は治りません。
なぜなら、ほとんどの場合「鬱病」ではないからです。
そういうと、「鬱病」だと信じている人は怒ります。
安心してください、本物のうつ病ならば、怒ることさえできませんから。
怒るということが、うつ病ではない証明です。
「鬱は、希望の不在」なのです。
鬱 があるのではなく、 希望の光がないのです。
闇 があるのではなく、 光が不在のことを 闇 と名付けただけなのです。
闇というものは、存在しないのです。
光がある時、闇は消え去るのです。
闇が光に勝つことはありません。
光が希望で、闇が鬱です。
闇を消そうとして戦うのは終わりにしましょう。
光を灯すのです。
不安と連動する緊張感は、希望によって高められる緊張感に変わるのです。
自分に優しくしましょう。
内なる感情に心の耳を傾けましょう。
「いま私はどうしたいのだろう」 そんな自分への問いかけに素直になっていいときかも知れません。