伴 百悦
イエローハットの創始者、掃除道の神様、鍵山さんから一冊の本が届きました。
会津武士道に生きた「伴 百悦」
勝てば官軍 負ければ賊よ!!
乱れた京の治安を守り、孝明天皇は絶大な信頼を会津藩に寄せたが、一転して会津は賊軍になった。
会津はもともと孝明天皇の御信任が厚かったということでもわかるように、朝敵どころか、天皇尊崇であり、
それを心の拠りどころにした藩でした。
ただ、薩長の権謀術数に対して、徳川を守ろうとしたのでした。
武士の生き方を貫き通し、頑迷といわれようが、偏狭といわれようが、最後の会津武士として、
自分がよしと信じた世界の中で死んだのが伴でした。
徳川を守ろうとしたゆえに、無理矢理に朝敵側に追い込まれてしまった会津藩。
徳川の世界の中で呼吸してきた武士の世界の存在理由を賭けて、その義に殉じようとしたのでした。
ところが、その肝心の徳川家にも、会津は軽く見捨てられるのです。
保身が第一の世の中にあって、会津は、強者にはひれ伏さない。
みなが強者にひれ伏したら、徳川三百年の武士道とは何だったのかということになる、
だから、我々は滅びてよいが、武士の最後にあたって武士道は守ろう。
・・・それが、会津武士の心だったようです。
戊辰戦争のあと、会津藩士の死体は埋葬することも許されなかったのですね。
あの白虎隊の少年たちの遺体も捨て置かれ、葬ろうとした者も死罪になったそうです。
勝てば官軍、負ければ賊・・・ 歴史は、いまも生き続けているのでしょう。
いまどうして鍵山さんからこの本が送られてきたのでしょう。
好きの反対は、嫌いではありません。
愛の反対も、憎ではありません。
それらは、どちらも同じものだからです。
愛の反対は、「無関心」です。
好きの反対も「無関心」です。
今の若者の特徴は、無関心、無感動だと言われますが、おやぢも熱が低いようです。
世の中に対して怒らない。
そんな風潮に対して、我が身と心が義憤に燃えて命をぶつけて燃え尽きた一人の会津武士。
お前、魂燃やして生きてるかい?・・・そんな、声が聞こえてきそうな本です。
じっくり読み進めています。