喜ばれると嬉しい
2013.12.18
本能のままに生きられないのは苦しみだ。
と、釈迦は2500年前に言ったそうです。
欲しいものが手に入らないのも苦しみ、
会いたい人に会えないのも苦しみ
会いたくない人に会っているのも苦しみ・・・
そんな苦しみから解放される方法は、
「自分のことを考えない」
それを実践している瞬間だけ、苦しみから解放されるのだと言いました。
そして、その実践行動の具体的な八つの道を「八正道」と呼ぶそうです。
それにしても、動物は本能のままに生きていますから、悩み苦しみとは無縁なのでしょうか。 苦痛っていうのは、あるかも知れませんが。
でも、動物には快と不快があったとしても、「喜び」の世界はないかも知れませんね。
神様は、人間にだけ「喜び」の世界を与え、
もうひとつ上に「喜ばれると嬉しい」 利他の心を与えてくださったように思えます。
だから、人は喜ばれると嬉しいのです。
赤ちゃんは、ただひたすら喜び、
お母さんは、その喜びの嬉しさに命が燃える。
このエネルギーは、神の領域なのかもしれません。
人が本当に魂の底から幸せを感じられるのは、お金儲けができた時でもなく、
人を思い通りに動かす時でもなく、地位や名誉を得た時でなく
「喜ばれた時」ではないでしょうか。
喜ばれる存在になることが、ワシらの命を使う目的のようです。
ケンカや争い、戦いをはなれ、喜ばれる存在となり、人のために命を使っているとき
不安や悩みなど消え失せているのでしょうね、きっと