喜ばれる
ふだん私たちは、自分で立てた人生の目標に向かって、自分の人生をよくしようと生きています。
そのために、いろいろと努力し、頑張って、人に抜きん出ようとします。
そこで、さまざまな苦労やストレスをかかえこんでしまいます。
これと逆に、人から頼まれごとをこなし、人に喜ばれるような生き方をし続けることで、まったく別のものになってしまう人生もあります。
私自身も頼まれるままに、人生の様々な話をするようになり、それで全国各地を回る生活が続いています。
これはもともと私が望んだことではなく、周りに要求されるままに始めたことなのですが、
それで自分も周囲も楽しい時間を過ごしています。
私は、”夢も希望もなく”生きていますが、十分幸せなのです。
そして、これはどなたでもが、そうしたいと思えばなんの努力もなしにできることです。
自分の人生をまずよくして、それから他人をよくしようというのでなく、いつも周りが喜ぶことを、自分の喜びとする。
そこには、争いも、対立も存在しようがありません。
自分が何かを人生で成し遂げたいと思っても、周りを無視し、周りと対立しながら事を運んでは最後にはうまくいかなくなるでしょう。
そのような人は、楽しくもなく、ひとりぼっちで人生を終えるかも知れないし、宇宙となかよしでもありません。
自分の周囲にいい思いを投げかける、そうするとそれは、倍になって返ってきます。
周りに喜ばれれば、自分も周りも、みんな楽しくなるし、宇宙もそのような人を応援してくれるようです。
人間は「喜ばれる存在」として、この世に生をうけたのではないでしょうか。
・・・ ふと、机の上にある 「喜ばれる」・小林正観さんの本の前書きが目に入りました。
天に帰った正観さんが、何か言いたげにしているような気がして、その文章をここに書き写しているうちに、ぽっと胸があたたかくなりました。