やまとの言の葉
2014.02.04
言わなければわからないから、何でも口にする。
言わないことは、なかったこと。
だから、自己主張することがとても大事だとこの頃は教育するようです。
ディベートという議論の技術を、高校の授業で取り入れたりもしているようです。
世界に通用する会社であるために、日本にありながら会議も英語でするような会社が脚光を浴びていますね。
「グローバル」
そんな言葉になんとなく、違和感を覚えるのはワシが歳をとってしまったからでしょうか。
もちろん、世界を相手にすることは大事なことでしょう。
でも、まず、ヤマト人であることの軸をしっかり定めてから、広がったほうがよいように思うのですが。
古来、ワシらの御先祖は、大和言葉で意思の疎通をはかっていました。
たとえば「ヒ」という言葉は「御霊」を意味し、
光線に「ヒ」(神の霊)、が「カリ」(籠っている)のを感じて「ヒカリ」という言葉を生みました。
神の霊が宿っている男子は「ヒコ」、女子は「ヒメ」
神の霊「ヒ」が留まっている「ト」から「ヒト」
「ヒ」が転化して「ミ」も神の霊で、神様の乗り物が「ミコシ」
「サ」は稲の霊。
稲の霊が宿る飲み物が「サケ」で、これに神の霊が入って「ミキ」となります。
神聖な神の霊を感じて、「アサヒ」「ユウヒ」の言葉となり、それに対して手を合わせていたのがワシらの祖先なのです。
英語を学び、世界に出てゆくことは今の時代、大事なことと思えます。
しかし、そのまえに本気でヤマト人の魂を取り戻さないと、日本が亡びてしまいます。
古いものはダメなもので、新しいものが素晴らしいもの・・・そんな、思いこみを外して、いまいちど、やまとの言の葉を学び直します。