やまとこころの道場できました!
敬愛する魂の姉、今野華都子さんとお出逢いをいただいたとき、今野さんは「タラサ志摩ホテル」の社長でした。
ご縁は本当に不思議です。
45歳まで、仙台の奥地で酪農家の嫁として早朝から夜中まで、牛を相手に暮らし、
主婦として、妻として、嫁として、働き続けてこられた華都子さん。
娘さんの学資を捻出しなければならないと、小さく始めた「まつ毛パーマ」
仙台の駅で「まつ毛パーマいかがですか?」とボール紙に書いたカードを見せながら微笑み、
何百人に一人のお客様をちいさなサロンに案内し、施術した日々。
何一つ一切手抜きをすることを知らない華都子さんです。
おそらく、眠る時間もなかったことでしょう。
綺麗になって、嬉しくて、喜んだ人が、ひとり、またひとりと帰ってきてくれて、
その都度、友達、知人を連れて来てくれた。
もっと綺麗にしてあげたい、もっと幸せな顔にしてあげたい。
華都子さんは、図書館に行き人体のこと、皮膚のこと、リンパのこと・・・徹底的に学び始めます。
そして、わずか五年でエステテシャン世界一の称号を手にすることになるのです。
でも、華都子さんにとってそれはゴールでもなければ、目的でもなく、そこから始まる物語の序章にしか過ぎなかったのでした。
世界一になったのなら、地元の方にお礼の意味も込めて講演会を開きましょうよ、とある友人が華都子さん持ちかけます。
人前で話なんかしたことないし、勘弁してほしいという華都子さんは、断りきれない友人の勧めで仙台で舞台に立ちました。
その会場にいた、「ツキを呼ぶ魔法の言葉」の五日市剛さんが、今野華都子さんのエネルギーに感動し、すぐ対談したいと申し出られました。
そして、その対談は本になりベストセラーとなったのですが、
もうひとり、その会場にいたのがタラサ志摩ホテルのオーナーでした。
オーナーは、世界的なタラソテラピーの施設を西武グループから買いとり、全日空に運営を任せていたものの毎年赤字が累積してゆく状況でした。
華都子さんが、舞台のそでから演台まで歩くわずか数秒の間に 「この人が社長になる人だ」と感じたそうです。
巨大ホテルの経営など夢想だにしていない華都子さんは、固辞するも、
どうしても行かなければならない状況に次々追い込まれて、ついに伊勢の国にやってこられたのでした。
サッカーボールを触ったこともないような主婦が、プロのサッカーチームの監督を任せられたような物語なのですが、
わずか5年の間に、ホテルを黒字経営にするという奇跡がおきたのです。 驚くべきことです。
とにかく想像を絶する奇跡のドラマです。
しかし、単なる神業ではないこと、誰もがわかります。
華都子さんは、真冬でも毎朝タラサホテルの裏の海で禊ぎをし、復活を祈っておられました。
社員一人一人に、我が子のごとく愛情を注ぎ、誰もが別人のように表情が、生き方が、命そのものが変わってゆきました。
北海道から沖縄まで、年間400回を超える講演をし続け、全国各地でタラサの物語を語り伝えてこられました。
タラサ志摩ホテルの社長を離れてからの華都子さんの活動は、日本列島だけでなく世界を駆け抜ける、世直しの風のようです。
数十万人の人たちが、華都子さんのエネルギーに触れ、運命が良くなり、人生が変えられていきました。
そんな華都子さん、「わたし還暦になったら伊勢に住んで、野菜を作って、やまとの話をするわ」って言っておられました。
ワシも楽しみに待ってるわって、言って笑ってました。
ところが、そんな矢先に3.11東北大震災・・・仙台のサロンも被害を受けましたが、それよりも同じ東北人として、日本人として動かずにはいられない。
おそらく、伊勢に移住するために計画しておられた蓄えはおろか、もっているすべてを差し出されたに違いありません。
神様はおられます。
本当に、神様は、生きて働いておられます。
全国各地の有志から資金が届けられ、華都子さんは伊勢にほど近い斎宮駅のある明和町に土地と建物が恵まれたのでした。
奇跡の地鎮祭から一カ月。
ワシがかかわらせていただける光栄に感謝しながら、毎日、明和町に通いました。
「節分までに完成させてね」と、笑顔でおそろしいことを仰る華都子姉さんであります。
でも、かつこ姉さんが願われることができないはずがない、と思わされることの幸せもかみしめます。
ここからの物語、第二章に是非、御参加下さい。
あなたが変わる時、ヤマトが変わり、そして、世界が、宇宙が変わります。