東洋軒のヨウショク
誕生日のお祝いを家族で、東洋軒にいきました。
津では、大事な日にはこの店に行く・・・そんな素敵な洋食のレストランです。
ワシが生まれたということよりも、55年前のこの日に大変な思いをしてくれて
この世に送り出してくれた、お母さんに感謝をする日でしたから。
55年前、昭和34年2月27日 午後4時44分のことです。
父は、なかなか生まれないから産院から家に戻って力道山のプロレスを見ていたそうです。
それで生まれた時間がわかったわけですが・・・
長子が生まれるというので、仕事を休んで病院にいてくれたのに
いざというとき、プロレスを見るために家に帰っていて、肝心なところでちょっとおしいお父さん。
天国で笑ってますか?
さて、東洋軒は、津の老舗レストランで、東京で生まれて125年の歴史があります。
津にやってきたのは明治30年のことだったそうです。
名物ブラックカレーは、広く日本中に知られています。
子供のころから東洋軒に行くときには、洋服を着替えてよそいきの恰好で出かける、そんなお店です。
3代目社長、猪俣憲一さん
アンカーハウジングの吉山社長からご縁をつなげていただき、本当に親しくしていただいています。
津の定期借地の町に、本物の世界標準の家を建てていただきました。
ロサンゼルスでデザインし、資材の調達のため、一緒にロサンゼルスまで行きました。
知れば知るほど、付き合えば付き合うほどに魅せられる、素敵な人です。
ああ、信頼に値する人と言うのは、このような人のことをいうのだ、と思わせていただけた方です。
家を建てさせてもらって、学ばせてもらって、友達になってもらえて、ワシはホンマに幸せ者です。
東洋軒のスタッフもみんな猪俣社長の大ファン。
この、東洋軒が東京赤坂に「東京東洋軒」として出店しました!
というか、東京に復活したというほうが正しいのでしょうか。
週刊文春にも「気楽だけど、心底うまい。 日本の洋食も世界遺産に!」と絶賛されています。
とても嬉しい記事です。
東洋軒は、天皇の料理番だった秋山徳蔵をはじめ有名シェフを排出。
資生堂パーラーも東洋軒の分かれだと聞いたことがあります。
さらには、日本で初めてクリームコロッケを発案したとか。
「東京東洋軒」は、猪俣憲一さんが10年来親交を深めてこられた、世界のベスト・レストラン50で世界第20位にランキングされる「ナリサワ」の成澤由浩さんがプロデュース。
料理長としてメニューも構成されました。
東洋軒伝統の味を尊重しながら、メニューも食材も調理方法も一切新たに組み立てなおしたそうです。
洋食につきもののラードや牛脂は使わない。
クリームもバターも極力抑える。
フライは米油で、デミグラスソースのとろみは野菜で。
ウスターソースも野菜をたっぷり使った自家製で、見えない細部まで気を入れ、健康的に仕上げるのが成澤スタイルだそうです。
55歳になって、少し食が細り、胃がもたれ胸やけがする年頃。
体に負担が少ないどころか、身体にも心にもエネルギーを与えてくれる本物の洋食が日本から発信される。
「ヨウショク」が日本料理として、世界に認知されるのは東洋軒からですね。
津の住民として、友人の一人として心から誇らしく思います。
素敵な友の存在は、人生の宝ですね。