赤塚高仁ブログ

祝福の水路

2014.05.07

  キリストの霊に触れた不思議な体験から12年

あれから聖書を読み、祈るようになりました。
 でも、時が経つと感動も薄れ
この世の欲や、人間関係に埋もれ、霊の力も弱ってしまいます。
祈りを回復する時かも知れません。
  ずっと祈り続けていることの一つに
「どうぞ、私を祝福の水路にしてください」
という願いがあります。
もちろん天のエネルギーが自分を通り、目の前の人に流れてくださいというものですが、人と人とが出会う繋ぎ手にならせてくださいという願いでもあるのです。
だから、人に人を紹介するときワシは生かされます。
多くの出会いに恵まれ、良き友があるのも、そのためかも知れません。
  ところが、そんな祈りをしておきながら、ワシの心の中に
「紹介してあげたのにお礼がない、自分達だけで仲良くして、誰のおかげかわかってるの?」といった恐ろしく汚い思いが湧くのです。
恩知らず! 裏切り者!
そんな思いが出てくる自分を見ます。
 人と人とを結び、新しい出会いが生まれ
そこに新たなエネルギーが立ち上がり、喜びとなる。
そのつなぎ目となり、自分を勘定にいれない。
そういうものにワタシはなりたい、   ホンマ
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