捨てるということ
大好きな やましたひでこさんが一冊の本が届けてくださいました。
「捨てる勇気! あなたの人生にも新陳代謝を」大和出版
捨てるとは、「あること」「持つこと」によって得られる心地よさ以上に、「ないこと」「持たないこと」によってもたらされる心地よさのほうが、はるかに大きいと気づいてゆくことである。
・・・表紙の裏側に書かれたこの言葉、まさに今、私に必要なメッセージだと直感!
一気に読ませていただきました。
いやー 素晴らしい本です。
まえがきに代えてとして書かれている、「私への問い『捨てるということ』 」一部引用させて頂きます。
「 日常と人生。
私は、そのどちらを意識して日常を営んでいるのだろう。
私は、このどちらを意識して人生を歩んでいるのだろう。
・・・そうか、人は、日常にあれば、
人生を問うことなど思いもよらず、
人は、人生を問えば、日常がたちまちにして色あせる。
だから、ずっとその問いを避けていたにちがいない。
だから、その答えを、遠巻きに眺めているに違いない。
けれど、私たちは知っている。
日常と人生、それを分けることなどできるはずもないことを。
そうだ、日常と人生は不可分。
だとしたら、日常の中に人生を見つけ出そうとしてみようか。
つぎの問いは、「日常を心地よくするために、するべきことはなんだろう」
日常が心地よければ、人生は心地よいものとなる。
だとしたら、日常の心地よさの源はどこにあるのだろう。
そして、「居心地のよい生活とは、どんなものから得られるのだろう」
暮らしに、何があって、何がないと居心地がよくなって、
何を持つと、何を持っていないことが、居心地を悪くしてしまうのか。
あることによって、得られる居心地、損なう居心地。
ないことによって、もたらされる居心地、失う居心地。
あるとない、よさと悪さ、それらの組み合わせ。
こんなふうに二つの視点をもって、逆方向の立ち位置から、見えてくることがある。
「ある」ことによって得られることばかりを追いかけていた私たちに、気づきがやってくる。
「ない」ことによってもたらされる居心地のよい生活があることを。
だから、捨てていこうか。
暮らしの中の居心地、を損なうモノたちを。
人生を複雑にしてゆくばかりのコトたちを。
そうすれば、人生は居心地のいい簡単生活の中で産み出されていく・・・」
(ここまで引用 )
溜めこみ屋さんは過去と未来に生きているのです。
過去も未来も、エネルギーの場ではありません。 エネルギーは「今」」につながったとき、流れてくる一瞬の調和だから。
ときどき、こんな私でも
人は何のために生まれてきたのだろう、どうせ死んでしまうのに?
と考え込むことがあります。
でも、やましたひでこさんのこの本を読んで、
そんなことは生まれる前によく考えておくべきこと。
もう生まれてきてしまったのだから、死ぬまで生きていかなければならないのだと思わされたのでした。
安売りによって手に入るのは、切に願っていた夢が叶うのでなく、
普段よりいくばくか、あるいは大幅に安い価格の日常の必需品。
モノが手に入ったというよりも、「安く買えた」という体験が得られたにすぎません。
安く買えたという体験は、お得感とツキ感を刹那的に与えてくれるようです。
私たちはそんな手軽な「得」と「ツキ」にこだわり、しがみつくことになってゆきます。 まるでアル中のように。
得とツキの囚われには、自分自身はツイてないという思いこみがガッチリあるのかもしれません。
だから、いつも得すること、ツクことでモノゴトをみてしまいます。
どうやら、そこには平安はないようです。
小さな「ごきげん」をみつけましょう。
「ごきげん」探しの達人になりましょう。
囚われている観念から離れるには、手放すに限ります。
「断捨離」のやましたひでこさんが教えてくださった
「引き算」のある暮らし。
風通しのいい「心」と「時間」と「空間」が生まれてきます。
二度読みたいと思える本に出逢えたとき、
私は生きていることのなつかしさに胸が熱くなります。
やましたひでこさん、心に風を吹かせてくれてありがとうございます!