ケンカがきらいです
子供のころからケンカがきらいでした。
それは、ケンカに弱いからなのですが、
それ以上に、ケンカになりそうな気配そのものがきらいだったのです。
言いたいことが言えないし、言おうとすると胸がむかむかして気持ちが悪くなるのです。
そのくせ、すぐに腹が立ちます。
思い通りにならないといっては、イライラするのです。
こんな気持ちになるのは、あの人のせい、この人が悪い、あれやこれや他人への非難でますますヒートアップ。
また、誰それはきっとぼくのことをこんな風に思っているに違いない、架空の非難でドキドキ。
そして、実際に言い合いになると、たいてい勝つのは立場や力関係の強い人、理屈にたけているひと、
圧力の強い人。
ケンカになる前から負けてます。
傷つくのはいやだ。
そう思ったのでしょうね、いつの頃か。
腹が立ってもそれを表現しないことを選ぶようになっていたようです。
腹が立っているのに、腹が立っていると言わないものだから、今度は自分の中に怒りが溜まり毒となって蓄積し、
見えない壁を創って、人と深くかかわれないようになってしまいました。
「赤塚さんは、社交的で人づきあいがとても上手ですね」
そう言われると、じつに申し訳ない気持ちになります。
何故なら、根アカのふりして、芯がクラい(・_・;
ま、それでも ようやくそんな自分を肯定し、受け入れ、承認できるようになったようです。
ケンカに強い人と出会うと、それだけでビビってしまってましたから、
話しするだけで涙目になったり、服従したり依存したり、
自分がどこかへ行ってしまってました。
コンプレックスというものは、実に厄介で恐ろしいものですね。
今でも もちろん ケンカは嫌いです。
でも、ムリな緊張に色目を使わず、好かれても嫌われても、言うべきことを言える関係の中で生かされたいと願います。
だって、どんないいこと教えてもらっても、できないことはできないのです。
そして、その人にはなれないのです。
その人が、私になれないように。
お金を儲けて、それから やまとこころを伝えるのだ、と思わされていましたが、そんな心では、稼げるはずもありません。
やまとこころを表す言葉、生き方をしているとき、必要な糧を恵んでいただけるようです。
だって、こんな私に仕事を頼んでくださるお客様があるのですから、
真にマコトに世界は全く希望に満ちています。
神様ありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。