心配ごと
お客様とお出会いし、お話をさせていただくと
次から次へと心配ごとを話される方が多いのです。
3年前の3月11日以降、最も多い心配ごとが
「津波は大丈夫でしょうか?」
というものです。
地震が来たら・・・?
地盤の保証は・・・?
ひとつひとつ丁寧にお答えしても、心配ごとを産み出す名手にとっては意味のないこと。
その答えに対して、また次の心配ごとを考え出してくださいます。
挙句の果てに「お宅の会社がつぶれたらどうしてくれるの?」
無神経な言葉だとは思いますが、ご本人にしてみれば正しい質問なのでしょう。
自分のことで頭がいっぱいだと、相手に対して気を配ることなどできなくなります。
私は、「いつかなくなりますし、私も死にます。 だから、安心できる家を創り、その家を信じてくださいね」とお答えします。
なぜなら、津の町に地震が来るかどうか私には分かりません。
また津波で、町がなくなるかどうか、私にはわからないのです。
だから、高台の土地を探しましょう・・・などと、提案するなんてできません。
私の住んでいるところは、津の海のそば500メートルのところですし、海抜80センチです。
でも、与えられたこの場所が大好きですから、ここで幸せになると決めています。
今朝も、この土地の草を抜き、汗を流して土を触っていました。
先の不安より、蝉の鳴き声にエネルギーがもらえます。
このあいだ来られた女性で、量産ハウスメーカー数社と見積もりをとっておられた方ですが、例によって
「アカツカさんの家は、セ○○イハウスと比べて値段は? ○○ホームは、タダで図面書いてくれました」
はい、量産メーカーさんがよかったらそちらで買ってください。
比べられないものをお届けするのが、私の仕事ですから、どんな家を創っているのか話を聞いてくださいますか?
と、2時間ほど「住めば住むほど元気になる、究極の健康住宅」の仕様と性能をお伝えします。
ビニルクロスや合板の仕上げ材を使っているところと、比較しておられる間はお話は進められません。
両者を比べること自体、ご自分の中での大事なものが定まっていないということなのですから。
次元の違う世界なのですから、比べることができないのです。
例えば、コンビニ弁当とマクロビオティックの宇宙を比較して、どちらがいいかは、考え方・生き方の問題です。
どちらがいいか?という話ではありません。
どちらも選択できるように、どちらもこの世界に存在します。
そして、それを選ぶのは自分自身の価値観であり、人生哲学でなければなりません。
だから、私は量産メーカーさんの家を批判したり、悪口を言うことをしません。
でも、そこに疑問を持ち、次の一歩を踏み出される方のために存在させて頂こうと思っています。
図面もタダで描くなんてことできません、人生の舞台を設計するのに、その方の生き方暮らし方をインタビューし、
それをカタチに表すことはメーカーの営業マンやコンピューターにさせるわけにはいかないのです。
だから、間取りのプロ中のプロと私は契約しています。
プロは、タダで仕事をしてはなりません。
サザンの桑田さんに、タダで歌を歌ってくれなんて失礼でしょ。
だいたい、タダで歌ってくれるは、近所のカラオケ好きなおじさんくらいのものです。
さて、量産メーカーとのお話が終わったらお越しになってくださいね、と話させていただいたお方ですが、
「津波が心配なのですが」と言われましたので、「そのときは私も死にますから、一緒に死にましょうね」と言いました。
これって、冗談じゃなく本気でそう思っているのです。
災難にあうときはあいましょう。
病気になる時は病気になりましょう。
そして、死ぬ時は死にましょう。
いまは、そのときでないなら、できれば、喜びごとを考えて、喜びごとを見つけて、喜んで、周りの人を喜ばせましょう。
備えあれば憂いなし、と心配をさせて、お金を巻き上げようとする連中がいっぱいいますから気をつけましょうね。
人生に、保証も保険もありませんから。
未来に心奪われている間、「今」が手薄になって、エネルギーがじゃじゃ漏れしています。
それでは喜べません。
命がけで、今日一日、今を喜びましょう。
喜べば、喜びごとが、喜んで、
喜び集めて、喜びにきます。
彼女から連絡が来ました。
「他のメーカーさんで建てるのは、やめました。
赤塚建設さんにお願いします。 よろしくお願いします」
営業も訪問も出来ない会社ですが、今・ここに生きるエネルギーを立ち上げる会社です。
赤塚建設は、箱を作る会社ではありません。
ひとりひとり違う、誰でもない、あなた自身の人生の舞台という空間を創造する会社です。
出逢いは、奇跡
そこにはたらく目に見えない大きな力に感謝して、今日も一日生かしていただきます。
生かしていただいてありがとうございます。