うさと展
さとううさぶろうさんと出会って、いくつもの季節が通り過ぎました。
デザイナーということは知っていましたが、その衣装の良さに触れるまで、少し心の距離がありました。
まわりに「うさと」の服を着ている人がいましたが、 変 な服だと思っていましたから。
普通に生まれ、普通に生きてきた私にとって、ちょっとだけ違う世界のように感じました。
初めて うさぶろうさんと出会ったのは、東京六本木のサントリーホール
山元加津子さんと、キムシンさんのジョイント講演会の時だったと記憶しています。
あ、そのまえに愛知県の ゴジカラムラで暑い日に かっこちゃんの講演会があって、
そこにうさぶろうさんがおられたような覚えもあります。
ま、とにかくサントリーホールです。
招待していただいた私は、招待席に座ったのですが、となりの席がうさぶろうさんでした。
何故だか、はっきり覚えています。
しかし、ひとことも言葉交わさず、距離は遠く、お互いに認識し合うには困難な状況だったようです。
大事な友人がひきあわせてくれました。
時が満ちて、逢うべき時がやってきました。
一目会ったその日から、出会うべき大事な人だということがわかりましたから、すぐにチェンマイにいきました。
うさぶろうさんをうーさんと呼ばせてもらうようになり、
伊勢でも、東京でも、高千穂でも、日本各地で会うようになりました。
うーさんが伊勢に来られる時は、私のログハウスに泊っていただくようになりました。
そして、いつしか うーさんの服を着させてもらうようになった私です。
大量生産されるシャツは、綿の中に猛毒を含んでいます。
人工的に綿花を枯らせて収穫するため、枯葉剤・・・そう、ダイオキシンを撒くのです。
シャツになっても、その成分が消えることはありません。
皮膚呼吸するたび、体内に入ってきます。
どんな影響があるのかは、ベトナム戦争のあとに証拠が残されています。
うーさんのシャツをつくるための綿花は、すべて手摘み。
染めるのも、自然の染料だけ。
織りも手織り。
初めてうさとの服を身にまとったとき、皮膚呼吸の楽さに驚かされたものです。
口の悪い人は、「雑巾のような服、南京袋のようなズボン」とボロクソ言いましたが、そんな人でさえ
うさぶろうさんに会ったら、大ファンになって展示会を催すようになるのですから不思議ですね。
衣食住、 人生で最も大事な原点。
衣を命懸けて ヤマト人に伝えている さとううさぶろうさん。
そして、彼が作る うさと
お店はありません。
全国各地で行われる うさと展でしか手に入れることができません。
今日と明日、三重県津市雲出本郷町の赤塚建設ログハウスにて展示販売が行われています。
アンテナがキャッチしたなら、是非お越しください。
そして、触ってみてください。
命が喜ぶ、本物の服がそこにありますから。
今日は、広島、岡山からも訪ねてくださる方がありました。
縁あって、出会わせていただいた貴い一枚のシャツに、魂いっぱい手を合わせます。