赤塚高仁ブログ

ペリリュー島を知っていますか

2014.08.12

白地に赤く日の丸染めて・・・日本の国旗の歌ですが、青地に黄色い月の丸をデザインした旗をご存知でしょうか。
それは、西太平洋に浮かぶパラオ共和国の国旗なのです。
スペイン、ドイツ、日本、米国と統治されたパラオが独立する際に、太陽(日の丸)に照らされ輝く満月のような国となろうという願いを込めて生まれた国旗だと現地の人から聞かされました。
日本は31年間のパラオ統治時代、電燈を灯し、道路を敷き、病院や学校を作りました。
島の人々は、日本を愛し、今も多くの人が日本語を話します。
ところが、我が国の代表は、日本が悪いことをしたと自虐的な懺悔ばかり繰り返し、マスコミも祖国を愛することは罪だとばかりに、ネガティブなキャンペーンを続けています。

朝日新聞が、従軍慰安婦は捏造したデマ記事だったと発表したが、
どれほどの国益を損なったのかよく考えるべきだと思います。

祖国を誇れないほど、みじめなことはありませんから。

そんな自虐史観の中で、パラオのことが知らされることはほとんどありませんでした。

 松阪市飯高に水屋神社という樹齢千二百年の楠を御神木に抱く聖なる宮が在ります。
宮司の久保憲一氏はパラオと親交深く、諸島の一つペリリュー島にある神社にさざれ石を寄贈したことでも知られています。
五年前のこと、パラオの16回目の独立記念日に合わせ久保宮司を団長に、縁ある仲間数名でパラオ共和国を訪ねました。

 それは、ペリリュー島から三重県人として唯一の生き残り、上島先生の遺骨を抱いての旅でした。

オレンジビーチの砂という、瓶に入った砂を大事にしていた小児科医、上島先生に依頼され、私が観音堂を建築したのがご縁でした。

もう一度、ペリリュー島に行きたいという、願いもむなしく亡くなった上島先生の遺骨を、かの島に散骨するため遺族と一緒に行きました。
まずパラオ本島からモーターボートで一時間半弱、幅三キロ、長さ九キロのペリリュー島向かいました。

着くとすぐ塹壕に案内されました。

五百箇所ほどある洞穴の中でも一番大きなもので、石灰岩をくりぬいた延長は90メートルもあり、壁はところどころ焼け焦げていました。
真っ暗闇の中、懐中電灯の灯りに照らされた先には、ついいましがたまで日本の兵士たちが居たかのように食器や空缶が転がっていました。
大東亜戦争末期、昭和19年9月15日、4年がかりでペリリュー島に日本軍が作った飛行場を奪うために、米軍は島を取り囲んだのです。
兵力はおよそ4万2千。そして、上陸に先立ち米軍が打ち込んだ爆弾は17万発、日本軍の艦隊も航空機も壊滅状態となり、軍艦、輸送船約50隻が珊瑚の海に沈んでいきました。
しかし、12000の日本の守備隊は塹壕に潜み、米軍上陸に備えたのでした。

三日で攻略すると豪語して上陸してきた米兵を狙い撃ち、刀で斬りかかり、10メートルの距離での白兵戦、両軍の兵士の血で真っ赤に染まった浜辺はオレンジビーチと呼ばれるようになりました。
三ヵ月近くも持ちこたえたが完全に補給も途絶え、弾も尽き果てた日本軍は最後に「サクラ サクラ」と打電し玉砕、司令官中川大尉は十一月二十四日自決、戦いは幕を下ろしました。
米軍も八千もの死傷者を出した大東亜戦争で最も烈しい戦場の一つが、このペリリュー島だったのです。
ペリリュー神社の石碑にこう刻まれていました。
「諸国から訪れる旅人たちよ、この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い、そして玉砕したかを伝えられよ・米太平洋艦隊司令長官 CWニミッツ」と
 戦いの前に、日本軍は軍艦で島の住民をすべて安全なパラオ本島に避難させました。
中川大尉は、日本の為に戦うという島民たちを説き伏せ、彼らを守るため避難させたのです。
戦い済んで島民たちがペリリュー島に戻ってみると、そこには海に水漬き、山に草生した一万二千の日本兵の屍がありました。
米国は米兵の遺体を収容しました。しかし、我が国は英霊たちの遺骨を顧みることはありませんでした。
ペリリューの島の人たちが、日本兵の遺骨を拾い集め、墓を作り葬ってくれたのです。
中川大尉が自決した洞窟には、今も花が絶えることがありません。

島の人たちが、勇敢に戦った日本軍に敬意を表して花を手向けてくださっているのです。

思わず、鼻の奥がツンとなりました。
英霊たちは、観光団ではありません。
祖国日本のために戦い、大切な人、大事なことを守るため日本から遥か3000キロも離れた南の島で死んでいったのです。
どんなにか帰りたかっただろう、ふるさと日本に。
英霊たちの願いは、今日本の人々に届いているでしょうか。
ジャングルを歩くと、朽ち果てた零戦がありました。
主翼にうっすら日の丸が見えます。

主脚の錆を落とすと銀色に輝くジュラルミンが出てきました。
みんなでふるさとを歌いました。
「志を果たして、いつの日にか帰らん」未だ帰れぬ数千の英霊たちの念いが一気に胸に飛び込んできてみんな泣きました。

 

 昭和天皇は 「ペリリュー島は大丈夫か?」と常に気にかけておられ、11回も下賜を贈られたのです。

ペリリュー島が、天皇の島と呼ばれる所以です。

5月に皇居勤労奉仕団の団長として、天皇陛下とお言葉を交わさせていただくという光栄に浴しましたが、

なんと、その後まもなく陛下が「パラオを訪ねたい」と発表なさいました。

もうすぐ天皇・皇后両陛下がパラオを、ペリリュー島を慰問してくださいます。

英霊たちの喜びが聞こえてきます。

天に還った英霊たちが、日本の守護神として天より働いてくださいますよう、魂から祈ります。

 

  今日、NHKで夜 ペリリュー島の映像が放映されるようです。

祈りつつ、観たいと思います。  日本よ、永遠なれ!!

 

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