大好きな人を思い出す幸せ
常滑のいなくんによく連れて行ってもらう居酒屋さんがあります。
伊勢湾でとれる魚がメチャクチャ美味しく、 また珍しい鹿児島は鹿屋の小鹿という焼酎がお気に入りなのです。
何故かその店では、いつも同じCDが流れていて、私が愛してやまない西岡恭蔵さんの「アフリカの月」という名曲が聴けます。
その曲が流れると、時の流れが逆流し一気に 「あの」頃に戻ってゆきます。
西岡恭蔵さんと初めて出会ったのは、30年以上前のことです。
ぞうさんと呼ばれていた恭蔵さんは、ゾウのように優しい目をしていました。
すりきれるほど聞いた「南米旅行」というアルバム。
なかでも「アフリカの月」は何度聞き口ずさんだことでしょうか。
いまでもこのアルバムは、始まりから終わりまで全部歌えます。
遠い異国を目の前に出現させてくれたロマンティックなレコードは、私の宝物。
大事な私の友達、山下久美子にも曲を提供したり、矢沢栄吉さんにも曲を書いてました。
詩を書くのは、奥さんのクロさん。
恭蔵さんの生み出すメロディー。
心の羽を広げるには狭すぎる日々の生活から
脱日常、旅に連れ出してくれましたた。
奥さんのクロさんが死んだあと、後を追いかけて逝った恭蔵さん。
そして、
ゾウさんと一緒にいつも思い出す、大好きな人。
それが、桂枝雀さん
「すびばせんねぇ」
機嫌のいい空間が出現したら、それでええ。
20年ほど前、京都での独演会の時でした。
「池田の猪買い」というネタを演じていた桂枝雀さんは、これからサゲ、オチというところで突然話をやめてしまいました。
「みなさん機嫌ようしてくれてはるから、ここでやめますわ」
高座を降りていったのです。
幾度となく枝雀さんの舞台には足を運びました。
しかし、話の途中でやめてしまったのは初めて。
枝雀さんは、かつてこう言っていました。
「究極の自分の目標は、何にもしゃべらんと三十分高座でただ座り、それでお客さんと機嫌のええ時間を共有することですねん」
「もしも今世でできんかったら、なんべんでも生まれ変わってやりますわ」
高座を途中で降りた枝雀さんに不満をもらす客は一人もいませんでした。
至福の空間がそこに出現していたから。
私は、鳥肌が立ちました。
噺家が、落語をしゃべらずお客さんを満足させる。
場の空気を高め、そこに居合せた人達を機嫌のいい波動でみたす。
なんというエネルギーなんでしょう。
恭蔵さん、枝雀さん。
ふたりとも首つって死んでしまった。
なんでかな。
いっぱいわけあったんだろうな。
優しすぎる人には、生き苦しい時代なんでしょうか。
寿命だったんだよ。
そう自分には言い聞かせている。
だけどやっぱり寂しいですね。
古い港町流れる夕暮れの口笛。
海の匂いに恋した、あれは遠い日の少年。
酒場じゃ海で片足無くした老いぼれ。
安酒に酔って歌う遠い思い出。
「俺が旅した若い頃にゃ、よく聞け若いの。
酒と女とロマンもとめて七つの海を旅したもんさ」
母さんは言うけど、船乗りはやさぐれ。
海に抱かれて年取り、あとは寂しく死ぬだけ。
僕は夢見る、波の彼方の黒い大陸。
椰子の葉陰に揺れる星屑、見上げる空にはアフリカの月。
古い港町流れる夕暮れの口笛。
海の匂いに恋した、あれは遠い日の少年。
あれは遠い日の少年。
(アフリカの月)
星になった大好きなひとたち
私が生きている限り、ずっと思い出させてもらおうと思っています。
人は、二度死ぬのです。
一度目は、肉体がこの世から消えるとき。
もう一度は、すべて人から忘れ去られるとき。
大好きな人を思い出す幸せをしみじみ噛みしめながら、お盆明けの今日からまた、喜んで働かせていただきます。
生かしていただいて、ありがとうございます。