天翔ける 久保宮司
いつも笑っている久保宮司でした
「僕は死ぬことはちっとも怖くないんだよ」と笑っている久保宮司でした。
ログハウスを建てたのが 33歳の時ですから、今から22年前のことになります。
オルゴールコンサートがご縁で、佳代子姉さん、和子姉さん、ふたりの魂の姉さんができました。
いまでは、華都子姉さんも・・・ どこまでいっても末の弟ですが・・・
和子姉さんの実家が、松阪は飯高、1200年の楠がある水屋神社です。
いつしか、水屋神社は 私の実家のようになり、
六角堂 「和光舎」を建築させていただきました。
そこに、ペリュリュー島のオレンジビーチの砂が納められています。
久保憲一宮司は、私の兄さんのような存在でした。
パラオにさざれ石を贈ったのは久保宮司でした。
パラオ独立、16周年の記念式典に出席させていただきました。
ヨーロッパ大陸に初めて神社ができたのは、フランスのブルゴーニュの和光神社。
これは、水屋神社の分社です。
分社の式典にも出席させていただきました。
実に不思議な縁としかいいようがありません。
去年の10月、ガンが発見され余命2カ月と宣告された久保宮司。
ビックリして病院に飛んでいくと、部屋にいない・・・捜しまわったら、喫煙室でタバコを吸ってた久保宮司。
遷宮までは、生きていないといけないんだよ、と笑いながら話していた久保宮司、見事に御遷宮を御務め果たしてくださいました。
笑っている顔と、笑い声しか思い出せません。
私は、少し前から、天皇陛下が行かれる前にパラオにいかなければいけない! そう、示されて秋に仲間を集めて行こうと決めました。
久保宮司に相談しようと、和子姉さんのところに行ったのが昨日の午後。
何故か昨日の午後だったのです。
そこで和子姉さんから、久保宮司の状態が良くないと聞かされました。
「ガンの数値が、普通の人が0~10 なんだけど兄の数値は20万を超えていて、医者が何故生きていられるのかわからないと言っているのよ。
赤塚くん、兄が会いたがってるから短い時間なら話せるので、病院にいってあげて。 誰にも内緒で入院しているけど」
朝から会いに行ってこよう・・・そう、決めて会社に戻り、夕食をすませたとき、和子姉さんからの電話 「兄はいま、亡くなりました」
え!
「あかつかくんが、パラオに行ってくれるって言ったら嬉しそうにしてた」
久保宮司に 「僕は、役を終えたから、赤塚さん、これからはあなたがパラオのこと語り継ぎ、人を導いてあげてね」と
ペリリュー島で私に言われたことを思い出していました。
笑っている顔と、笑い声しか思い出せません。
今日、通夜・・・明日、告別式
ちっとも実感わかないけど、 寂しくなってきました。
お兄ちゃんが死んだ。
どうか、水屋神社の久保宮司を覚え、お祈りください。
そして、久保宮司、 護国の英霊となり天より我が国と、天皇陛下をお護り下さい!!