赤塚高仁ブログ

天翔ける 久保宮司

2014.08.20

 いつも笑っている久保宮司でした

「僕は死ぬことはちっとも怖くないんだよ」と笑っている久保宮司でした。

 

 ログハウスを建てたのが 33歳の時ですから、今から22年前のことになります。

オルゴールコンサートがご縁で、佳代子姉さん、和子姉さん、ふたりの魂の姉さんができました。

いまでは、華都子姉さんも・・・ どこまでいっても末の弟ですが・・・

 和子姉さんの実家が、松阪は飯高、1200年の楠がある水屋神社です。

いつしか、水屋神社は 私の実家のようになり、

六角堂 「和光舎」を建築させていただきました。

そこに、ペリュリュー島のオレンジビーチの砂が納められています。

 

 久保憲一宮司は、私の兄さんのような存在でした。

パラオにさざれ石を贈ったのは久保宮司でした。

パラオ独立、16周年の記念式典に出席させていただきました。

ヨーロッパ大陸に初めて神社ができたのは、フランスのブルゴーニュの和光神社。

これは、水屋神社の分社です。

分社の式典にも出席させていただきました。

実に不思議な縁としかいいようがありません。

 

 去年の10月、ガンが発見され余命2カ月と宣告された久保宮司。

ビックリして病院に飛んでいくと、部屋にいない・・・捜しまわったら、喫煙室でタバコを吸ってた久保宮司。

遷宮までは、生きていないといけないんだよ、と笑いながら話していた久保宮司、見事に御遷宮を御務め果たしてくださいました。

笑っている顔と、笑い声しか思い出せません。

 

 私は、少し前から、天皇陛下が行かれる前にパラオにいかなければいけない! そう、示されて秋に仲間を集めて行こうと決めました。

久保宮司に相談しようと、和子姉さんのところに行ったのが昨日の午後。

何故か昨日の午後だったのです。

そこで和子姉さんから、久保宮司の状態が良くないと聞かされました。

「ガンの数値が、普通の人が0~10 なんだけど兄の数値は20万を超えていて、医者が何故生きていられるのかわからないと言っているのよ。

赤塚くん、兄が会いたがってるから短い時間なら話せるので、病院にいってあげて。 誰にも内緒で入院しているけど」

朝から会いに行ってこよう・・・そう、決めて会社に戻り、夕食をすませたとき、和子姉さんからの電話 「兄はいま、亡くなりました」

  え!

「あかつかくんが、パラオに行ってくれるって言ったら嬉しそうにしてた」 

 久保宮司に 「僕は、役を終えたから、赤塚さん、これからはあなたがパラオのこと語り継ぎ、人を導いてあげてね」と

ペリリュー島で私に言われたことを思い出していました。

 

  笑っている顔と、笑い声しか思い出せません。

 

今日、通夜・・・明日、告別式

ちっとも実感わかないけど、  寂しくなってきました。

お兄ちゃんが死んだ。

 

  どうか、水屋神社の久保宮司を覚え、お祈りください。

そして、久保宮司、 護国の英霊となり天より我が国と、天皇陛下をお護り下さい!!

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