弔辞
2014.08.22
久保宮司、あなたと出会って
いつの間にか 20年以上の時が流れました。
水屋神社を何度目かに訪ねた日が、出会いのときだったでしょうか。
境内にある御神木の数々。
とりわけ、1200年を超す樹齢を誇る楠は、
水屋神社のシンボルでもあり、日本を代表する御神木だと、
誇らしげに語ってくださるあなたの少年のような瞳が、
今も鮮やかに蘇ります。
久保宮司と深い魂のつながりが生まれたのは、
六角堂建築の一件からでしょうか。
ペリリュー島のオレンジビーチの砂、マリア観音・・・諸宗教和合と、敵味方なく一切の英霊の御霊供養、
祈りと天をつなげる光のよりしろとしてのお堂となりました。
建築に際し、さまざまな雑音や抵抗がありましたね。
しかし、どのような圧力に対してもまったく微動だにしないあなたの姿に触れたとき、
ああ、この方はまさに天が選び、このお役をお与えになられたのだと知りました。
まさに、日本男児
桜の花のごとく散っていった英霊の心の分かる方でした。
やまとこころの最も大切な真髄をしっておられる方でした。
どんな人にもまったく同じ態度で接する、しなやかな人。
いつも笑っていましたね。
権力者にへりくだることなく、
小さきものを上からみることなく、
常に目の前の人と、目を合わせて笑う人でした。
余命2カ月という末期のガンの告知を受けた時も、電話口で笑っていました。
あわてて病院に飛んでいった私が、あなたを探すと、喫煙室でタバコを吸い
「ははは、肺がんにならなかったからね、タバコは友達」と笑っていましたね。
病院にいると病気なると言って、神社に戻って来られました。
そして、水屋神社の御遷宮も告知から5ヶ月後、見事に成し遂げられました。
久保宮司、あなたに連れて行ってもらい副団長として視察したパラオ、ペリリュー島。
しずかに続けてこられていた慰霊。
あなたが贈られたさざれ石は、いまも島の慰霊のシンボルとなっています。
そして、ここから先は、赤塚くん、あなたに頼むよと言われました。
先日 天皇陛下とお会いしました。 陛下は、宮司の念をお受け取りくださったのだと思います。
来年パラオに行ってくださることになりました。
久保宮司、あなたがおつくりになった霊の道です。
どれほど英霊たちが、喜ばれていることでしょう。
生と死の堺も、もはやあなたにはありませんでした。
今日、これから告別式で 私が弔辞を述べさせていただきます。
きっと、ここに書いたようなことは話せないように思えます。
なぜなら、これを書いているだけで、あなたとの思い出や、あなたの笑い声が響いて
涙がでて仕方がないからです。
やがて、私もそちらにいきますが、
それまでのひととき、あながた願われたことを少しは引き継げるような日本男児になりたいと思います。
天からみたら、どんなふうに見えるのか、
ときどきメッセージを送ってください。
あなたのメッセージが、受け取れるアンテナを立てて生きていきます。
久保宮司、、 魂いっぱい ありがとうございます。
では、告別式に向かって 出発します。