赤塚高仁ブログ

言挙げしないヤマト

2014.08.25

    ディベートと言って、自己主張を通す論争のようなものがもてはやされたことがありました。

自分の考えをいかに相手にわからせるか、
どちらかと言えば、声の大きい人が偉いような風潮でもありましたね。
高校生がディベートの訓練をしているといった報道もありました。
  ま、要するに口喧嘩の強い人が偉いと思われたようです。
欧米やお隣の国々ではそうだからで、外国のほうが進んでいて、日本は遅れているから?
どうやら、そう教えこまれてしまったようですね。
そして、真面目な日本人はそれを信じてしまったのでしょう。
 でも、よく考えてみましょう。
世界一長い歴史をもつ、このヤマトの国が外国に劣っているということがあるでしょうか?
 万葉集に柿本人麻呂の歌で
「葦原の瑞穂の国は  神ながら  言挙げせぬ国」
と詠まれています。
日本は、神の国で、神様は我々の為すこと 考えていることをすべてお見通しだから、あえて何でもかんでも口にしないでもいい。
それどころか、それは見苦しいことだ。
と、いう国柄なのですね。
また、柿本人麻呂はこう詠みました。
「しきしまの やまとの国は 言霊の助くる国ぞ  ま幸くありこそ」
日本は、言霊が助けてくださる国です。
言葉に霊がのる。
まさに、言葉することは 祈ること。
声に出した言葉には、それを現実にする不思議な力がはたらき、
引き寄せの法則がおこります。
良い言葉を発すると、良いことがおき、
悪い言葉を発すると、悪いことが起きる。
日本には、忌み言葉も多く存在します。
  外国人のように、何でもかんでも口にしなくてはわからない、
言わないことは、なかったことだ、だから言われなければわからないという世界とは違うのが、言霊のくにヤマトなのです。
  何でもかんでも口に出すというのは、日本人にはなじまないのです。
もちろん、言わなくてもわかって! というのは 子供の甘え。
相手の心を思いやる、惻隠の情を育くまなければなりません。
良い言葉を使うことは、全ての原点でしょうか。
  美しいヤマト人として、一人ひとりが目覚めるとき、
日本は、世界の灯明台となることでしょう。
    今日も 生かしていただいてありがとうございます。
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