きづくとわかる、わかるとかわる
ひとが何をどう感じているのかは、わかりません。
怒っているような顔をしている人が、心から喜んでいることもあります。
にこにこしながら、実ははらわたが煮えくりかえっている人もありますから。
大抵、思いこみが生み出す先入観によって、人の世界は創りだされているようです。
ちょうど、真っ赤なサングラスをかけて世界を見れば、白いものだって赤く見えます。
その人に、「これは白だよ」とどれだけ説いてみたところで、その人にとっては騙されていると感じたり、
それを白だなんてこの人バカじゃないか・・・と思われたり、要は時間の無駄だということです。
天皇なんて税金泥棒で、自分が納めた税金で食わしてやってるんだ、というようなことを平気で言う人もあります。
そういう思いこまされたのでしょうか。
同じ国に生まれながらもったいないことだとは思うのですが、
私が天皇陛下に出会ったときの空気感をいくら伝えようとも無駄なのです。
身体に悪いものは、家づくりに使わない。
住めば住むほど元気なる家を「素敵だ、この家しかない」と言いながら、住宅展示場通いを止めない人もあります。
本人は住まいの勉強だと言っていますが、信じているモノが違うのでしょう。
そこで強く言っても、説得したところで、その人との関係が悪化するだけでしょうね。
だから、ちやほやしてくれるハウスメーカーのセールストークに惹かれてゆくのかも知れません。
魂の転生、輪廻、死後の世界という当たり前のことでさえ、
「人間、死んだらお終い。だから、この世を命がけで生きるだけ」と頑なに信じている人には、あの世のことも神様のことも話せません。
そして、無理に説くこともないのです。
わかりたいと思わない人にわからせる方法はないし、その必要もない。
ようやく、そんな簡単なことがわかりました。
自分が気づくまで、他人がどうこうできるものではないのです。
一所懸命時間かけて話したところで、結局何も届かない。
そして、そんなことする必要もないのです。
「何とかわかってもらいたい」 それを情熱だと思っていましたが、やっと、余計な御世話であることに気づきました。
基本的なことは話しても、そこから先はその人次第。
その人の中で生まれた違和感に、本人が気づき、そして、わかる。
そのタイミングは、ひとそれぞれ違うのでしょう。
もしかしたら、今世では気づけないかもしれません。
でも、それでもいいのです。
人の命は、今回の人生だけではありませんから、生まれ変わって一からやり直しても大丈夫のようです。
感じて 気づいて わかって ・・・そして、変わる。
それを、学びというのかも知れません。
学んだことの唯一の証は、変わること。
ある日突然 思いこみが氷解する。
そして、出会ったことのない自分と出会う。
そのときが、新しい旅の始まり。
だから人生は素晴らしい。