赤塚高仁ブログ

ありのままの

2014.10.21

 「ありの~ままの~~」と耳にタコができてしまいました。

自分を肯定し、元気づける応援歌として大ヒットしたのでしょう。

それこそ、世界中で。

結局、あの映画は見ていないので感想だの、意見などは述べることできないのですが、ちょっと違和感かんじているのも事実。

私のように、55年と8カ月も生かされてきて、未だに「ありのままの」自分を認めてやることのできない者もおりまして。

 

 いったい、「ありのままの私」というのは、どういう状態なのでしょうか?

思うこと、感じること、そのまま自由奔放に出すこと?

なんだか、それだと動物のような気がしません?

人として生まれて、人の間を生きてゆく人間だもの、

本当の「ありのまま」を知り、その「ありのまま」が、まわりを明るくし、誰かを暖める。

そんな生き方ができたら素敵だなあと思うのであります。

 

 一時、ディベードとやらが流行り、高校の授業でも取り上げられて意見のぶつかり合い、自己主張を訓練しました。

人は、言わなければわからないから、自分の意見はきちんと言わなければならない。でないと、人生、損をする。

そんな風潮でしょうか。

確かに、民度の低い白人のような人種は、言葉に出さなければわからないのでしょうし、言葉にしたことを事実と受けとめるようです。

ところが、2600年以上も続く王朝に生まれたヤマト人は、「言わなくても分かる」高級な民族であることを忘れてはならないのです。

それどころか、「秘すれば花」です、言わないことのほうが尊いのです。

神道は、これまで宗教戦争をしたことがありません。

恐らく、世界中の宗教の中で宗教戦争のないのは、ヤマトの神道だけではないでしょうか。

これはすごいことです。

神道では、言挙げせずといいます。

言葉にしない。

そのことによって伝わる世界がある。

そんな国に今回私たちは、生まれることができたのですね。

 

「先に謝ってはいけない、相手に負けるから」

 

 いいえ、日本では「どうもすみません」は、美徳です。

どんどん謝りましょう。 ぶつかるとケガをしますから。

「いえいえ、こちらこそ、もうしわけありません」

お互い様です。

 

 ありのまま・・・が、少し方向変わってしまいましたが、そのままの自分の感情を吐き出したり、これが自分だなんてほとんど錯覚なので、気をつけたいものです。

まわりの人を喜ばせることだけ考えて、自分のことを忘れている状態。

それを、しあわせな状態と呼ぶのでしょうか。

ありのままでいいのは、蟻だけかも知れません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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