ありのままの
「ありの~ままの~~」と耳にタコができてしまいました。
自分を肯定し、元気づける応援歌として大ヒットしたのでしょう。
それこそ、世界中で。
結局、あの映画は見ていないので感想だの、意見などは述べることできないのですが、ちょっと違和感かんじているのも事実。
私のように、55年と8カ月も生かされてきて、未だに「ありのままの」自分を認めてやることのできない者もおりまして。
いったい、「ありのままの私」というのは、どういう状態なのでしょうか?
思うこと、感じること、そのまま自由奔放に出すこと?
なんだか、それだと動物のような気がしません?
人として生まれて、人の間を生きてゆく人間だもの、
本当の「ありのまま」を知り、その「ありのまま」が、まわりを明るくし、誰かを暖める。
そんな生き方ができたら素敵だなあと思うのであります。
一時、ディベードとやらが流行り、高校の授業でも取り上げられて意見のぶつかり合い、自己主張を訓練しました。
人は、言わなければわからないから、自分の意見はきちんと言わなければならない。でないと、人生、損をする。
そんな風潮でしょうか。
確かに、民度の低い白人のような人種は、言葉に出さなければわからないのでしょうし、言葉にしたことを事実と受けとめるようです。
ところが、2600年以上も続く王朝に生まれたヤマト人は、「言わなくても分かる」高級な民族であることを忘れてはならないのです。
それどころか、「秘すれば花」です、言わないことのほうが尊いのです。
神道は、これまで宗教戦争をしたことがありません。
恐らく、世界中の宗教の中で宗教戦争のないのは、ヤマトの神道だけではないでしょうか。
これはすごいことです。
神道では、言挙げせずといいます。
言葉にしない。
そのことによって伝わる世界がある。
そんな国に今回私たちは、生まれることができたのですね。
「先に謝ってはいけない、相手に負けるから」
いいえ、日本では「どうもすみません」は、美徳です。
どんどん謝りましょう。 ぶつかるとケガをしますから。
「いえいえ、こちらこそ、もうしわけありません」
お互い様です。
ありのまま・・・が、少し方向変わってしまいましたが、そのままの自分の感情を吐き出したり、これが自分だなんてほとんど錯覚なので、気をつけたいものです。
まわりの人を喜ばせることだけ考えて、自分のことを忘れている状態。
それを、しあわせな状態と呼ぶのでしょうか。
ありのままでいいのは、蟻だけかも知れません。