念はエネルギー
パシフィコ横浜大ホール、3000人の講演会。
吉元由美さんの「言の葉塾」伊勢ツアーの講師と神宮ガイド。
怒涛の3日間でした。
多くの方とお会いしました。
しかし、一日10人ずつ新しい人と出会い続けても
日本人1億2千万に会うためには3万8千年かかる計算になります。
だから、出逢いは必然。
縁というのは、奇跡的なことなのだと改めて思わされてなりません。
「住めば住むほど元気になる究極の健康住宅」
先週2軒のご契約をいただきました。
明日からは、津駅の西、山の手で2世帯住宅が建て方始まります。
四日市、名張、伊勢、久居、津と現場が動いています。
だから、私も養われ、社員さんたちも暮らしてゆけます。
そして、私も「やまとこころのキャンドルサービス」ができます。
恵みに感謝します。
こんなふうに生かされているのも、「こうなったらいい」という想念が「願い」となり、
「祈り」となってエネルギーが宿っているからだと思えます。
意識や念は、エネルギーです。
エネルギーは外部から得られることもありますが、ほとんど自分の生命から生まれるものではないでしょうか。
外からのエネルギーが来るとしたら、内なるエネルギーが呼び寄せたものだと言っていのかも知れません。
同じエネルギーは引き合い、違うものは反発しあうようです。
「想いは叶う」 「念ずれば花ひらく」といった言葉の意味は、
想ったこと、念じたことはビジョンとなり、エネルギーが生まれ放射され、
そして、自分も周囲もそのエネルギーによって影響を受け、行動が変わり、実現の方向に向かってゆくということなのでしょう。
想いが行動につながってゆくために、本心はどうなのかをよく観察しなければなりません。
「神様、どうかわたしを幸せにしてください、どうか助けてください」と祈り続けている人があります。
信仰者によくあるパターンです。
これは、自分の中に「私は、いま不幸です。 私は何もする気はありませんからだれかなにかをしてください」
と、不幸を強烈に上書きしてゆくわけですから、次から次へと不幸の連鎖が起こり、
ついには神様に 「どうして私を苦しめるのですか? これはあなたからの試練ですか?」などと
文句を言い始めます。
「~こうなるように」 「~できるように」という祈りは叶いません。
何かを願うときは、完了した、成功した、成就したと確信することです。
完了形で 「~できた」と思えたときエネルギーが生まれ、成功への自動操縦スイッチがオンになります。
聖書の中でも、イエスキリストは、「すでに成されたと信じ、祈りなさい」と言っています。
いま自分がどんなエネルギーを発しているかは、自分にどんなものが集まっているかで知ることがでます。
もしも、周りに愚痴を言う人がいたら、自分が愚痴を言っているのです。
明るい楽しい幸せな人がいっぱいいたら、自分が嬉しいのです。
花には蝶
うんこには蝿
自分の念がエネルギーとなり、それが呼び寄せていることを知る時、誰のことも、どんなものも恨む必要などありませんね。
数えきれない要素が複雑に絡み合っているとしても、それはすべて自分のエネルギーが生んだもので、誰も悪くないのですから。
負のエネルギーを発すると、自分に返ってきます。
なんだかいいことがない、と感じるときは自分の内なるエネルギーをチェックするときなのかもしれません。
じゃじゃ漏れになっているエネルギーを取り戻し、プラスの力に変えるとき、
本来あるべき自分の姿と出会うことができるのでしょう。
それが、何よりも神様に喜んでいただける姿なのではないかと思う今日の私です。