耳が聞こえない
パラオから帰ってから、耳が聞こえない。
以前から難聴で、補聴器がなければ日常会話も不自由する障害者です。
ところが、ペリリュー島から帰ってからというもの、補聴器をしても聞こえない。
左耳がほとんど聴力を失ってしましました。
家で、補聴器をせずに過ごしていると、突然目の前に大声で怒鳴る奥さん。
後ろから話しかけられても、まったく気がつかないのです。
「どんだけ大きな声で呼んだらええの!」
叱られてもわからないのです。
これはきっと、パラオの英霊たちがついているんだわ・・・などと妄想していましたが、
仕事上もあまりに支障があるので行ってきました、耳鼻科。
ひどい中耳炎になっていたそうで、すぐに鼓膜の切開手術。
これがまた良く聞こえるのです、鼓膜を切る音と鼓膜の奥に溜まった水を抜く音。
あ~ こわかった。
数日で鼓膜も元に戻るそうですが、どうにもならない閉そく感からは解放されました。
病院には歯医者さん以外、ここ数年行ったことありませんでしたが、助かりました。
自分の耳が聞こえていないと知ったのは、四国で暮らしていたサラリーマン時代のことでした。
上司と営業に行った先で、私が何度もお客様に聞き返すものですから、上司にしかられ
「耳の穴しっかり開いてよく聞け!、耳の医者に行って来い」 というわけで高松の耳鼻科に行ったのでした。
仕事の話でも、普通に話している分には大丈夫なのですが、
日本ではよく、「ところで、例の件ですが・・・」などと大事な部分になると急に声のトーンが落ちることありますよね。
そうすると、私は 「え、なんですか」と聞き返すわけです。
ま、とにかく 医者に行ったわけですね、27歳の赤塚高仁は。
聴力検査などしたあとで、ちょっと陰気なその医師はこう言った・・・ 「どうして こんなになるまで放っておいたんや」
そして、つづけてこう言った・・・「聞こえなくなるかもしれないから、治療を開始しなければならない」と。
大体、自分がどんなふうに聞こえているのかなんて誰にもわからないものです。
人がどう聞こえているのか、どんな風景を見ているのか、知る由などありません。
と、いまの私なら受けとめられることも、若い営業マンだった赤塚くんは受け入れられず 「え、耳が聞こえなくなる!?」
いろんな要因がからまっていたのですが、あのときの耳鼻科の医師のあの一言は、私を鬱病に落とす一撃になりました。
ショックで、人と話すことも容易でなくなり、耳鳴りがひどくなり、
とうとう対人恐怖になって、家から出られなくなって、出社できなくなってしまいました。
結局、うつ病になり自殺未遂をして、何年間も苦しんだというわけです。
三重に帰ってから、耳鼻科に行きました。
高松のあの病院には行きませんでしたから、三重で治療をしなければなならないと思いましたので。
すると津のセンセイは、「あーーー、聞こえてないね。 これは、難聴です」
「でもね、人間はみんな障害者になっていくものだから、上手に付き合えば大丈夫。
目の見えない人も、足が片方ない人も、みんなそれが個性やからね。 だから、これがあなたの個性。
僕の言ってることわかるかな? そして、こうやって話ができるんやから、恵まれてるわな」
その瞬間、救われましたね。
聴力は、なにも変わっていない、にもかかわらず。
しかし、同じ現象に対して、人を打ちのめす言葉を投げるのか、暖かくすくいあげてくれるのか・・・
人としてどうやって、人と関係をもってゆくのかを学んだように思えます。
昨日訪ねたその病院は、先生が代わっていました。
それでも、30年近く前のあの日に心は戻り、感謝の気持ちが湧かされました。
たった一言が、人を殺すことも、救うこともできる。
言葉することを、いつも意識して生きてゆきたいものです。
たとえ耳が聞こえなくても、人の心の声を聴くことはできるのですから。