赤塚高仁ブログ

Sくんの手紙

2017.08.01

 熊野でのイスラエル同窓会のひとときは、
想像以上に深く魂に染み入るもので、
時間が経つにつれ、熟成されてゆくのを感じています。

出逢いは、
自分の思いやいきさつを超えて、
目に見えない大きな力によって運ばれてやってきます。

出逢いはツキ。
ツキが続いて運になる。
運命とは、
出逢いが運ぶ命です。

 呼び集められた魂が、ある目的のために動かされてゆく、・・・そんな気がしてなりません。
神様の召集令状でしょうか。

 熊野の同窓会に来ることはできなかったけれど、
心を飛ばして、魂の参加をしてくれた Sくんの手紙です。

 「 イスラエルの仲間たちへ

5月に共に旅をして、もう何年何十年と経った感覚ですが、
カレンダーを見てみるとまだ2か月しか経っておらず、時間の進み方が変わったのかなぁ・・・と、
思っている今日この頃です。

 赤塚団長に宿る熱い真理の話、
バラさんのどんな深い絶望の中でも自分をあきらめない生き方、
倉原さん、木村さん、矢吹さん、矢中さんの魂を揺さぶる歌、音楽、踊り、
およそ人として味わえる最大限濃縮された『生きる』という感覚を五感で味わえた最高の9日s間でした。

おかげさまで、私はこの旅で勇気をいただきました。
人生は逃げたくなるような辛い場面が多々ありますが、多くの人が言い訳をしたり、見ないふりをしたり、
ポジティブ、積極思考と言いながら現実に気づかないふりをしたり、
結局エゴの中に逃げ込んでしまいます。
 私もそんなひとりでした。

だけど、そんな生き方は、間違いではないが、
真理とは程とおいものだと教えていただけたように思います。

 イエス(ヨシュア)は、人としておよそ考えられる最高で、また根源的な『生きる』という在り方を、
見せ、そして教えてくれました。
この世のすべての罪を見つめ、知り、受けとめ、そして受けて立ち、
自分が死ぬことになろうとも、真理からそれず、目の前の現実に立ち向かってゆきました。
決して逃げませんでした。

 私は、イエスは嫌で嫌で仕方がなかった、と思っていました。
しかし、、イスラエルの地を踏みしめ、
赤塚団長はじめ、みなさんと話をさせていただく中で気づきました。
イエスは、十字架を背負い、歩き、磔になる中で苦しんだだろうけど、
とても幸せだったのではないだろうか?! と、いうことです。

 私は、イスラエルの旅で時空を超えたように感じています。
過去も未来もすべてが「今」とつながり、ここにいて文章を書いている私自身が、
自らを見つめ直し、イエスを想って感動と勇気が湧き上がってくるのですから。

自分の生き方が、変わったのです!

 イエスは、人は変わることができるという真理を時空を超えて伝えてくれました。
この奇跡は、きっとイエスにも届いていると思えるのです。

 私はこれからの人生で、辛く逃げたくなる時は、
この旅を思い出し、立ち向かい、学び続けようと思っています。

 僭越ながら、いつかどこかでこの手紙が誰かの役に立つギフトになるかもしれないと思って、
書きました。

 まさに人生が変わる旅でした!
共に過ごせたみなさんに感謝です。」(引用ここまで)

 Sくんは、30歳
初めて私がイスラエルを旅した年ごろ。
この手紙を読ませていただきながら、走馬灯のように今日までの日々がよみがえってきます。
つないでゆく
つながってゆく
その継承が歴史になればいい、そう思わされるのです。

 聖書や、古事記に込められた祖先からの祈りもしっかり受け止め、
やまとこころを伝えてゆくために、魂磨き続けてゆきたいものです。

旅が人を変える。
やはり、
聖なる地には、
聖なる法則が働くのですね。

  

 

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