赤塚高仁 物語

14.「所有」から「使用」へ

分譲住宅を作れども作れども、予算の中から土地代を引いた残りでは、世界標準の家に届かない。
ならば、土地を買わずに家を建てることができればいい。
1999年、定期借地権事業に取り組む覚悟を決めた。
その年の2月21日、糸川英夫博士昇天。
「前例がないからやってみよう!」という博士の声に背中を押されるようにして、定期借地権一本で進んだ。
土地の仕入れは一切やめ、背水の陣でのぞんだのだった。
だが、地主営業は、厳しかった。
門前払いの日々であった。
保守的な地主さんたちにとって、新しいことをやるというのは容易なことでないのであろう。
2年間、断られ続け、その間に蓄積した断り文句は120を超える。
いまでは、それが赤塚建設の宝となっている。

赤塚高仁は、子どもの頃からケンカに勝ったことがない。
口げんかでさえ、涙目になってしまう。
そんな人生の中で、唯一負けない方法を見つけたのだった。
それは、ケンカしないこと。
定期借地権事業は、誰もやっていなかった。
不動産屋は、あんなめんどうくさいこと絶対やらない。
建築会社は、勉強しない。
すなわち、定期借地権こそ、日本の街並みを美しくさせる最終兵器であり、独自の土俵を作ることができると考えた。
そして、ひとつ、またひとつと地主さまが土地を貸してくださるようになった。
「美しくなければ家ではない」をキャッチフレーズに、ロサンゼルスのデザイナーと提携して、家のデザインを美しいものにした。
それに、ドライウォール、24時間セントラル空調、ビルトインガレージの3点セットを世界標準の家の標準仕様とした。
「所有」から「使用」へ、という考え方に賛同してくださる方が、土地を買わずに、次々とアメリカンハウスを建ててくれるようになった。
全国的にも定借事業で成功している事例がほとんどなかったので、北海道から沖縄まで、見学者が津まで訪れた。

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