赤塚高仁 物語

16.愛国心

今から10年前のことである、高仁の娘が15歳の時に1年間米国に留学した。
カリフォルニアの小さな田舎町の家庭に世話になって、日本人と全く会わずに、1年間過ごしたのだった。
さぞかし見聞が広がったことだろうと、帰国した娘を出迎えに行った高仁に娘は、「お父さん、私は本当に恥ずかしかった。」と涙ぐんで言うではないか。
どうしたのかと尋ねると、米国で出来た友達は皆、日本に大変興味を持っていて、娘にこう聞いたそうだ。
「日本という国は、いつできたのか? そして、誰が作ったのか?」と。
娘が知らないと答えると、「自分の生まれ育った国の歴史を知らないのはどうしてか?」と、不思議そうな顔をしたそうだ、米国の高校生たちは、全員建国の日も建国の父も知っているから。
それから、
「あなたは、アメリカに何をしにきたの?」と娘に質問したのだった。
「広く世界のことを知りたくて」と答えた彼女にあきれたような顔でこう言ったそうである。
「あなたが知るべきことは、あなたの国のことでしょう。自分の国のことも知らない人が、よその国のこと勉強してどうするの?」
ショックだった、と娘は高仁に言った。
やがて、うつむきかけた顔を高仁の方に向けると、娘は、「お父さん、私に日本の歴史を教えて、日本は誰が作ったの?いつ?」と問うた。
高仁は、答えられなかった。
日本の建国について何も知らなかったからである。
高仁は、日本史について本当のことを知らないということすら知らないで生きていた。
何故ならそれまでの人生で、そんなことを考えたことなどなかったし、疑問にも思わなかった。まわりも、みんなそんな風だったから。
しかし、自分の国について何も知らないということが、いかに恥ずべきことであるかを娘の体験を通して気づかされた。
人は、その国に生まれたからその国の人間として生きるのではないと知った。
民族としてのアイデンティティとは、民族の歴史を学び、そこから生まれてくるものなのかも知れない。
それで、「日本人のようなもの」だった高仁は、真の日本人になりたいと願わされた。
神話は、ファンタジーでありただの作り話くらいにしか思っていなかったが、神話こそ民族の根っこであり、真実なのだと高仁は感じた。
事実であるかどうかは問題ではない。
日本人は、神々からつながる天孫民族であり、日本は建国以来2六七2年、脈々と途切れずにその天からの命が今も生き続ける、世界唯1の君主国家であることを知らされたとき、はらわたの底から熱き血潮が誇らしく沸き上ってくるようだった。
それまで高仁は、国を誇りに思うことや、国を自慢することに対してどこか恥ずかしく感じる気持ちを持っていた。
マスコミなどでも、国を貶める有識者の意見が飛び交っている。
それが、あたかも正論のように伝えられている。
しかし、自分の国を愛せない者には、他国を愛することも、延いては自分自身を尊び愛することなどできないのではないだろうか。
『「天地のはじめ」、「目に見えない明るく幸せな神の世界を、地上に創りたい」という神の意思を知り、私たちは、神の世界といえる国づくりをする使命を授かった。
その心がなくなれば、もはや真の日本人ではない。」』
なんと素晴らしい国柄なのだろうか。
高仁は、ここに立ち返る以外、日本再生の道はないと思わされたのだった。

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